入試問題の著作権に関する私見

当サイトの立場にも関わることですので、かつて法学をかじった身として、
入試問題の著作権に関する私見を述べたいと思います。
やや高い専門色を含みますが、他サイトにはないオリジナルな視点を提供できたつもりです。
10000字以上ありますので、読了にはお時間にゆとりがあるときをオススメします。

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著作権の保護対象となる「著作物」の定義につき、
著作権法2条1号ではこのように規定しております。
『著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、
文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。』

サボは算数星人さんという算数の先生の個人的なファンでして、
たまに彼のサイトを覗いては難解でユニークな問題を嗜んでいます。
よくもまぁこんなのを作れるなと。
彼が紹介したり作成する問題には、ある種の芸術性を感じます。

問題の創作にはイマジネーションが求められます。
基本問題のようなありきたりでチープなものであれば創作性はありませんが、
ユニークな問いや全体の構成にオリジナリティーがあれば、
それは創作性を有する『著作物』に該当するでしょう。
ですから、創作性のある問題の利用は著作権法で自由利用に該当しない限り、
著作権者の許諾がなければ複製や公衆送信などはできません。

とある塾関係者のブログで、
『THスクールさんは過去問を丸々自社のホームページに載せている。
教育産業に携わる者として法を犯すのはダメだ』という書き込みをみました。
大学受験大手のTHスクールさんのサイトをみると、
各大学各学部の過去問がびっしりと充実しており、
10年以上前の過去問もあれば、現代文はもろに問題文を載せています。
権利関係者全ての許諾を得たのかは・・ちょっとわかりませんね。

しかし、入試問題は需要が大きいのです。
受験生だけでなく、学校関係者や予備校などの教育関係者。
教育に関心が高まる昨今、現役から離れた世代でも、
今の入試ではどのような問題がでてくるのか知りたい方は大勢いらっしゃいます。

サボが思うのは入試問題の公共性です。
入学試験は入学希望者の学力を審査することを目的とします。
いわば学校からのメッセージ。
入試の合否は受験生の人生を大きく左右しますから、
入学試験は公平かつ厳粛に行われなければなりません。

同じテストの問題でも、予備校や市販のテキストのそれとは大幅に性質が異なります
予備校や市販のテキストは独自のノウハウを売りにし、
それが本業にリンクしますので勝手な使用を許せば著作権者への影響は甚だしく、
ビジネスとして成りたたなくなってしまいます。
それは塾産業や教育教材産業の衰退をもたらし、ひいては教育レベルの低下を招きます。

一方で、入試問題は先にいったように、受験生の人生に関わる公共性の高い問題郡です。

そもそも、著作権法1条では同法の目的として、こう書かれております。
『この法律は、著作物(中略)に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、
これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、
もつて文化の発展に寄与することを目的とする

【公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り→文化の発展に寄与する】
著作権法の最大の目的は『文化の発展』にあります。
入試問題における『文化の発展』とは、『教育の発展』ではないでしょうか
具体的には、どのような教育の発展なのか。ポイントを挙げてみます。


第一に、教育関係者(学校・学習塾)の入試研究です。
入試問題は教育材料として非常に価値が高いのです。
日本の教育は(良きも悪きも)受験をターゲットにカリキュラムが組まれます。
中学3年間は高校受験の、高校3年間は大学受験をゴールに定め、
学習塾だけでなく、学校でも具体的な指導プランが立てられるのです。
《この子たちが3年後にこれを解くにはどう教えようか》
《この問題を生徒にわかりやすく伝えるには、どのような指導を講じればよいだろうか》
教師たちは昨今の入試動向にアンテナをはり、傾向と対策を重ねます。
おのおの入試問題を研究して試行錯誤するのです。
この繰り返しにより、現場の学習指導が向上します。

そして、他者の解法は指導の参考になるものです。
サボも算数の解説を載せている方のブログをたびたびお邪魔しては、
こういう解き方もあったのか!と新発見をして、
その発見を自身の指導に取り入れます。

この問題にはこういう見方がある。
別解としてこんな解き方もある。
これを教えるときはこれも言っておこう。

かつては算数の過去問を購入し、
私的使用の範囲で入試問題の研究を重ねてきましたが、
自力だと限界があり、解法のレファレンスの幅も著しく狭まるのです。
当該過去問の1通りの解説だけ。解説の多様性が乏しい。
自由闊達な解法のやり取りがないわけですから。
指導力の向上は教育の底上げです。
それは教育サービスの受け手である生徒に還元されます

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第二に、受験生の入試問題に対するアクセス保障です。
受験勉強は長期にわたります。
単元ごとにカリキュラムを消化していくのですが、
今習った単元が本番ではどの程度のレベルで求められるのかわかりにくいものです。
問題集では章末問題で『○○校より』と過去問が掲載される場合もあるのですが、
1問だけの単発でブツ切りだと全体像がわかりにくく、
その学校の入試問題の雰囲気をあまり感じ取れません。
自分が志望する学校の過去問が問題集にでてくるとも限りません。

ゴールの水準が掴みにくいのです。
本番ではどのくらいの問題がどんな感じで出されるのか。
赤本を買えばいいけれど、受験生ではないから丸々1冊はいらない。
特定の選択科目だけみたい。1年度分だけみて、雰囲気だけ感じ取りたい。
A校だけでなく、受けるかどうかわからないB校やC校やD校もみてみたい。

入試問題の流通が乏しければ、これらができません。
先取りを意識する子ほど、早いうちから過去問に興味を抱いています。
ゴールを見据えた上で、逆算して自主学習のスピードを定めています。
サボが前に運営していたサイトでは、コメント欄やお問い合わせのメールから
中学生とおぼしき子たちから質問や感謝の気持ちを頂きました。
(なかには保護者の方もいらっしゃいました)
入試問題と解説の閲覧は、学習計画の策定にも役に立つのですね。

一部の大人たちの権利尊重で、生徒たちが入試問題へアクセスするのを阻害するのではなく、
いつでも自由に閲覧できるようにすべきじゃありませんでしょうか?
将来、生徒はその学校におのれの人生をかけるのですから。
子供が一般社会ではじめて大きな局面に立たされるのは受験が多いですからね。
入試問題の自由利用を優先させることが教育の発展に与すると思いませんか?

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第三に、出題ミスの存在です。
2018年は大阪大の物理に端を発し、京都大の物理、神戸大前期の物理、東工大後期の総合問題、同志社大の物理、立教大の日本史、札幌医大物理、金沢医科大の生物、近畿大前期日程の「地理歴史」の地理分野と「理科」の化学分野、信州大化学、京都産業大国語と化学、熊本大数学、浜松医科大の化学、奈良教育大の数学、佛教大の政治経済、福島大のAO入試総合問題で出題ミス、群馬大理工の編入試験英語、埼玉大生物、筑波大院試。
阪大は外部からの指摘があったのもかかわず、対応が遅れ、追加合格の措置
福井大の医学部編入では前年度と同じ問題が出題され、公平さを欠いたとして謝罪。
大阪大学では化学でも条件設定で誤りの指摘。

これは大学入試の話だけではありません。
ヤフーのニュース検索で『出題ミス』と検索すると、2018年度だけで北海道公立高校入試(社会)、高知公立高校入試(理科)兵庫県とある高校の推薦入試、独自問題を採用した都立の高校、同志社高校の国語…。国家資格である保育士試験でも社会福祉の科目で複数回答か解なしの見解が出現、愛知県教育委員会では教員採用試験の2次試験で出題ミス(他島根・大阪・茨城)。枚挙に暇がない…。実際はもっとたくさんあるでしょう。

出題ミスは年中行事かと(-ω-;)彡
なかには、これくらいならいいかなという程度もあると思われますが、
イージーミスとの指摘もあります。

学校関係者は重々承知かと思いますが、
振り回される受験生からすればたまったものではありません。
志望校にいけなかった。
場合によっては、再度予備校に通って浪人する人だっています。
人生のプランが1年ズレます。
年に1度の大勝負。
市販のテキストの問題ミスとは同列に語れないほど深刻さです。

また、超難関私大の社会科では毎年、某有名予備校の講評欄で、
あいかわらず○○社出版の××用語集に頼り切っている。
受験生の揚げ足を取るような問題ばかりで大学側にメリットがない。
生徒を送り出す身としては不安、とまで酷評されているところがあります。
設問ごとの分析では「かくかくの理由でこれも正答となる。問題として不成立!!」と
複数のミスを細かく指摘されています。しかも毎年…。
皆さんがご存知の有名大学です。

でも、これを知る人は一部の教育関係者と、そこを受ける生徒たちと周辺くらいで、
全体からするとそれほど知れ渡っておりません。

出題ミスといい、不適切な設問の連続といい、これまで明るみにならなかったのは
入試問題が特定の人しか閲覧できない状況であったというのも無視できません
東京医科大学をはじめとする医学部入学不正の件もそうですが、
これまで受験業界は聖域でメスを入れにくかったという事情もあるでしょう。
内々の閉ざされた世界でやってこれてしまった因習。

私学にはどのような生徒に入学を許可すべきかを決める自由はありますが、
激戦であればあるほど、2~3点の差で合否の分水嶺が決まってしまうものです。
国立私立を問わず、入試問題のディスクロージャーは入試制度の公平性担保に役立ちます。

替え玉受験(受験票に記された本人以外の受験)では有印私文書偽造・同行使罪に問われるのですが、私文書とは刑法159条1項よると『権利、義務若しくは事実証明に関する文書』とされ、『事実証明に関する文書』とは判例によりますと、『社会生活に交渉を有する事項』を証明する文書とされています。裁決平成6年11月29日によると、私大入試の解答用紙は志願者の学力を証明し、それにより入学の可否が行われることから、解答用紙=社会生活に交渉を有する文書=事実証明に関する文書となり、替え玉受験者に刑事制裁が与えられるという理屈をとっています。

本件では解答用紙の私文書該当性が問題となっており、
入学許可は学校が主体的かつ一方的に下す判断というのもありますが、
生徒から学校に提出する解答用紙が社会生活に交渉を有する文書であれば、
学校が生徒に配布する問題用紙は生徒による解答行為の基礎となる文書であり、
その延長線上に志願者に対する入学拒否の判断材料を得るわけですから、
問題用紙も社会生活に交渉を有する文書といえませんか?
簡単に言えば、入試問題は社会生活の交渉(入学可否)に関わる、公共性の高い文書なのです。
予備校の模擬試験や市販のテキストとは明らかに性格が異なります。

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第四に、(私見が強くなりますが)受験の良さが伝わりにくい点です。
サボはときどき、ヤフーニュースで中学入試のコラムを読みます。
ニュースに付帯するコメント欄では、
中学入試は親のエゴ、子どもたちが可哀そう。
よく見かける意見がずらっと並んでおります。
サボもこういう身分でいうのもなんですが、中学受験を無理強いする必要はないとは思います。
他方で、中学受験にネガティブな意見が少なくないのは、
中学受験の良さがあまり知られていないというのもあります。
中高一貫校のメリット。学校の独自性。
もう1つは入試問題

中学入試の問題はとてもユニークに作られています。
算数は数学と違い、小難しい公式や理論を知らなくても解けるようになっていますが、
中学受験を経験していないと難関大の現役理系学生でも頭を悩ませます。
あの問題に触れるだけでも、中学受験の凄みを感じ取れます。

検索をかけると、算数の解説ブログは散見されますが、
他教科については絶望的に少ないのが現状です。
国語は問題文の原作が絡むので難しいでしょうけれども、
社会も理科も難しい理論を知らずとも思考力を試す良問が多いのです。
それにも関わらず、未だに入試は詰め込みだと勘違いしている方は少なくありません。
ですから、幼い頃から勉強漬けだとロボットのような機械人間になるとの意見が噴出します。
与えられたデータの処理しかできないロボットでは今の中学入試は無理です。

もっと世間の人が問題に接すれば、中学受験に対する見方も変わり、
中学入試ではこんな面白い問題が出てくるのか。
うちの子にも触れさせてあげたい、と興味を抱く方が増えると思います。
中学受験業界の盛り上がりにつながるのではないかと。

これは推測の域ですが、予備校で過去問が組織的に利用されたり、受講生に配布されるのは、
各学校も教育者ですから、事情を承知したうえで黙認しているのでしょう。
(法35条の適用が予備校にはないため。サボは入試問題の公共性から許されて良い使用方法だと思うが)
ネット社会の他の著作物でも見られる、二次利用・二次創作の黙認と同じですね。
知られることで著作者の利益となる。生徒たちに自校を知ってもらい、志願してもらう
また、保護者としても受験のために金をかけて我が子を塾に通わせていますから、
その塾で我が子が行きたいと望む学校の問題を取り扱っていなければ困ると思います。

中学入試だけでなく、高校入試や大学入試でも同様のことがいえます。
これがオープンになってないのは学校の損では?と思う良問はたくさんあります。
入試問題は学校からのメッセージですから。
学校からすれば、自分を特徴づけるアピールポイントだと思います

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入試問題の作成には高い創作性が要求されるのはわかります。
そのために専門の委員会など組織が組まれ、
来年度の我が校の入学に関する指針を決め、各科目の専任講師が協議を重ね、
出題ミスを犯さぬよう多重チェックをして、
長い時間と労力が割かれると思われます。

一方で、入試問題には先のような公共性を帯びます。
入試問題は、入学可否判断のための学力審査が本来の目的のはずです。
一部の権利者の独占利用が優先され、一律に自由利用が制限されてしまうと、
教師たちが幅広く入試問題をシェアして解法のやり取りができず、
生徒たちも自分が将来受けるであろう過去問へのアクセスが阻害され、
問題の秘匿性から出題ミスなどへの外部チェックも不十分となり、
これこそ教育業界の衰退という害悪をもたらすと思われませんか?
著作権法の個々の条文は、1条の目的『文化の発展』を考慮して解釈しなければなりません
文化の発展、教育の発展、著作権法が達すべき目的はどこにいったのでしょうか?


ネットレベルで『入試問題 著作権』と調べてみますと、
予備校の模擬試験や市販のテキストと同じく、
入試問題→『著作物』に該当する→許諾がなければならない。
と、入試問題の性質(公共性)に言及することなく、似たような説明ばかりでした。
書き手の多くは、権利者団体と知財を専門とする弁護士。
いわゆる著作権ビジネスの当事者たちです。まあ、そりゃそうだなと(-ω-;)
彼らは先に示した入試問題のパブリックな性格、ひいては教育の発展をどう考えているのでしょうか。

サボは、繰り返しになりますが、
予備校や市販テキスト(私はどちらの関係者でもありませんよ!)のノウハウと
実際に学校で出題された入試問題は性質が異なる以上、各々別々に考察すべきと考えます。

この点、実際の裁判事例がないか探してみたのですが、
どうやら国語の入試に使われた文章の作家らが過去問業者を訴えた事例はあるものの、
学校と入試問題の利用者との間での争いは見当たりませんでした。
(見つけた方はお知らせ願います)
著作権法では入試問題に著作権が発生し、
その利用については自由利用に関する条文の形式的な適用から
受験業界でも法令順守として表立った利用を控える慣習がつくられた印象を受けます。

もっと個々の著作物の性質や利用方法を実質的に考慮すべきだと思うのです。
そもそも現行の著作権法は音楽、舞踏、写真、映画、建築、入試問題…
はたまた、プログラムやデータベースまで概括的に(雑に)『著作物』に押し込んでいます。
それぞれ性質が大幅に異なりませんか
写真1枚とっても内容や利用方法は様々です。
番組の違法アップロードや漫画村の件では、それ自体に新たな創造的価値が付加されず、
原作者への影響が大きいため、問題があります。
一方、音楽教室の演奏でJASRAC(日本音楽著作権協会)が徴収の方針を明らかにした件につき、
サボが見たヤフーコメントとツイッターでは、音楽業界でない一般の大勢の人たちからも
JASRACに対する猛烈なバッシングの嵐でした。
権利者団体というのは得てして世間から嫌われる宿命にあるものですが、
音楽を教える場所で、親しみのある音楽をピアノで練習する行為についても
制限を与えてしまうのは、奏者の成り手を育成する業界を萎縮させ、
ひいては音楽業界の衰退をもたらすと考えられませんか?
教室内というクローズドな場所での演奏であれば、作詞・作曲家への影響も小さいはずです。
彼らにとっては音楽業界の進展を阻害してまでも、自分たちのお金が大切なのかと。
音楽の発展、文化の発展(著作権法1条の目的)はどこにいったのか

一般的に登録を要しない著作権法は形式的な条文の適用に馴染みません。
四角四面の杓子定規で図るのではなく、個々の具体的なケースを実体的に考慮すべき法領域です。
一応、同法30条以下では自由利用に関する定めがあります。
これが1条の「文化的所産の公正な利用に留意」の実現部分です。

文化というのは相互に影響を及ぼしながら発展をしていきます。
(教育でいえば互いの掛け合いで新しい良問が生まれたり、指導方法が向上するなど)
著作権は権利の束といわれ、人格権的な側面もあるのですが、その多くは財産権です。
財産権は、憲法29条2項の「公共の福祉」に服し、法律による制限を受けます。
著作権法の自由利用は、憲法論に引き直せば「文化の発展に寄与する」という、
公共の福祉実現のための規定であると考えられます。

しかし、現状、自由利用の規定は画一的に厳格な場合が多いです。
雑に『著作物』とまとめたうえで、柔軟性がありません。
以前、テレビ番組で弁護士が私的使用(法30条)が許される具体例を紹介しておりましたが、
純然たるプライベートといわれるケース以外は、
個々の事案を多様な視点から総合斟酌するまでもなく、一律に禁じられる印象を受けました。
条文構造はともかく、法律の運用や適用(あてはめ)は行政と司法の裁量問題であり、
これでは権利保護のウェイトが大きく、一般社会への萎縮を強く感じます。
単眼的な捉え方で視野が狭い。『文化の発展』を真摯に考えているのでしょうか。

以下、知財法の素人であるサボの勝手な私見ですが、
著作権の侵害では「違法性の程度」を重視すべきと考えます。
刑法総論という分野では「何を持って犯罪とするか」と犯罪の成立要件を検討するのですが、
犯罪の成立要件は①構成要件該当性、②違法性、③有責性とされております。
①構成要件該当性が形式的な条文の適用です。
暴行行為であれば暴行罪、放火行為であれば現住建造物等放火罪など。
構成要件に該当すると違法性が推定されるのですが、次の違法性判断の段階では、
その行為が刑事制裁を加えるほどの可罰的違法性(違法性の程度が強いか)を検証します。
違法性があったとしても、違法性には程度があるのです。
行為の外形面という判断しやすい構成要件該当性を考慮してから、
行為の実体面という判断しにくい違法性を慎重に考えていくわけです。
そして、可罰的違法性は実体判断なので、ケースごとに個別具体的に判断をします。

ご存知の通り、著作権はグレーな運用が大きいものです。
許されるのか、許されないかがわからないのは、ケースバイケースによるところが大きいから
雑多で多様な『著作物』の多様な権利侵害行為類型は、構成要件該当性のように
条文を引っ張って形式的に当てて終わりではなく、個別具体的に検証判断をするべきであり、
可罰的違法性の実体判断は著作権法の妥当な適用判断に馴染みます
著作権法は処罰規定のある刑事法でありながら民事法でもあり、
ややこしい面もありますが、民事法でも可罰的違法性の判定(違法性の程度)はなされます。
これらは立法によるものではなく、司法での適用問題です。

再三になりますが、著作権法1条(目的)では、
『この法律は、著作物(中略)に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、
これらの(A)文化的所産の公正な利用に留意しつつ、(B)著作者等の権利の保護を図り、
もつて(C)文化の発展に寄与することを目的とする』とあります。
【A】に留意しつつ【B】の保護を図り、もって【C】に寄与することを目的とする。
であれば、AとBのバランス関係が仮にA<Bであったとしても、
著作権法における最大の目的はCのはずです。
すなわち、文化の発展。
ケースによっては音楽教室の演奏徴収のように【B】が過大評価され、
【A】が萎縮し、【C】が軽んじられる事態を法が招いています。

入試問題においても今は学校側がアクションをとることなくグレーな扱いですが、
条文レベルの考察しかできない一般素人(サボもそうだが)の見解はともかく、
権利者団体と一部の法律関係者はB>Cで、Cより自分たちの利権を重んじております。
ここらへん異議を唱える、気骨のある法曹がいましたら、ぜひお知り合いになりたい。
願わくば、違法性の程度にかかる司法判断を可及的速やかに実践してもらいたいです。


ここまでお読みになられた方がどれほどいらっしゃるか存じませんが(冗長になって申し訳ない)、
当サイトとしましては現行法に不満を抱きつつも、法32条の定める引用を念頭においております。
引用にはいくつかの要件がありますが、そのうちの1つである【引用の目的上正当な範囲内】は、
具体的には、他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか、その方法や態様、
利用される著作物の種類や性質、当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが
総合考慮されなければならない
』と実体判断が行われるようです(大阪地裁平成25年7月16日
ベリーベスト法律事務所さんより
入試問題の解説利用につき、正面から争われた事例はないようですけど、
サボは上記の通り、入試問題は公共性の高さから相当程度で要件は充足されると踏まえたうえで、
入試問題を題材としながらも質的・量的に新たな創造的価値を有するコンテンツ(解説)を主体とし、
問題部分と解説部分との明瞭区別を行ってまいります。
入試問題はあくまで解説という創作表現の手段であり、
同じテスト問題であっても、問題の独自性やノウハウが本業となる予備校や市販の書籍業と比べ、
著作者に対する影響具合が少ないと思われる入試問題を適切な引用要件の元で運営していく所存であります。

自惚れと思われてしまったら、申し訳ございません。
なお、当サイトの解説はサボに著作権が帰属しますが、
学習指導の向上や子供の学力上昇に結びつくのであれば、
教育関係者その他大勢の方に利用して頂きたいと思っております。
教育のためというと気障ですが、ここまで大見得を切ったわけですし、

自分なりの挑戦も含んでおります。

@余談@
どうやらアメリカでは無断利用であったとしても、
フェアユース(公正な利用)という一般条項に該当すれば自由利用ができるそうです。
米国企業であるグーグルでも著作物の使用がフェアユースにあたれば許されるとしています。
4つの判断要素から総合的に斟酌して決められる実体判断なのですが、
4つのうち、とりわけ【利用の目的および性質】と、
【著作権のある著作物の潜在的市場または価値に対する利用の影響】が重要な要素といいます。→弁護士ドットコムさん参照
【利用の目的・性質】では、かつては商業性(金儲け度合い)が重視されたそうですが、
現在は商用目的であっても「変容的」であればフェアユースにあたるとのことです。
変容的というのは、新たに手を加えて別の価値を付加したことで、
題材となった作品と比し、作品全体が別の作品として仕上がっているかということです。
この変容性という概念は、著作権を考える上で極めて重要であるとサボは思います。
文化は相互に刺激を受けながら昇華していくわけですから。
さっくり言ってしまうと…独特だ!個性的だ!と評されるものでも、
世の中の大概は大なり小なり模倣だったりするものです(言いすぎかな?笑)。
日本の著作権法ではアイデア自体は著作物性がないとされますが、
アイデアでなくても模倣にありふれていると思いますよ(-ω-;)彡
完璧なオリジナリティーがあれば、それは奇跡の賜物ですね。
絶えず移りゆく文化において変容性という流動的な要素は日本でもいち早く導入すべきだと思うのですが、
フェアユースの法理は下級裁で否定されているようで、権利者団体からの圧力もあり、
実現には至っていないとのことです。
誠に残念であります。

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