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大問1
感情のコントロールに関するリード文
(2)
日本、中国、朝鮮半島では、土を盛って丘のようにした墓がつくられ、
日本のものはとくに古墳とよばれています。
①1972年に図1の壁画がみつかった奈良県明日香村にある古墳の名を答えなさい(★★★★)
高松塚(古墳)
*しょっぱなからヤバめやん(´д`)
某クイズ番組にでてたけど、大人5人のうち1人だけしか答えられていなかった。
(しかもその1人は明日香村出身者)
極彩色の壁画(上写真)で有名。
明日香村はキトラ古墳でもよく知られている。
キトラ古墳の壁画複製写真はコチラ→大塚オーミ陶業株式会社
玄武や白虎は四獣ですね。
②7世紀、遣唐使の情報をもとにして改革が進められました。
この改革はどのような目的で行われましたか。資料Ⅰを参考にして答えなさい(★★★)
天皇を頂点とする中央集権国家を樹立するため。
*国立大っぽい問題。
ムラからクニへ、小さなクニが大きなクニへまとまっていく時代。
地方の有力者である豪族のなかでも扱いに差をもうけて身分制度をつくり、
天皇を中心にすえる中央集権国家の樹立を推し進めた。
のちに大宝律令(701)で国家基本法を制定。
7世紀後半から国の名が倭国から日本へと変わる。
(4)
町や家をつくるときに、北東方向からわざわいがやってくると信じられていました。
この方角を「鬼門」とよび、守り神を置いたりしました。
平安京の「鬼門」の方角にあり、山全体に広がる寺院の名を答えなさい(★★★)
延暦寺
*昨年の開成中にもでた。京都の北東方向にある比叡山延暦寺。
平安京と延暦寺は密接な関わりがあることから、
滋賀にある延暦寺も『古都京都』として世界遺産に登録されている。
江戸幕府も天台宗の僧である天海からの打診をきっかけに江戸の鬼門封じを試み、
江戸城の北東に位置する現在の上野に寛永寺を建立する。
延暦寺の近くにある琵琶湖を模した不忍池(しのばずのいけ)も調えたらしい。
ちなみに、鬼門の逆方向にあたる裏鬼門(南西)も不吉な方角とされ、
江戸城の南西に位置する現在の港区・芝には、増上寺という幕府の菩提寺がある。
(5)
長野県南木曽(なぎそ)町は、古くから交通の重要な場所でした。
しかしこの地域ではいくつもの場所で「蛇(じゃ )ぬけ」とよばれる災害がたびたび起きたため、
資料2のような内容の碑を残して災害のことを忘れないようにしてきました。
①「蛇ぬけ」とはどのような自然災害でしょうか。碑文の内容から答えなさい(★★)
土石流(土砂災害)
*碑文からの推測問題。
雨がふって地面が『抜ける』。
長雨が降ったにもかかわらず、谷の水が急に止まるのは
水の流れが何かでせき止められているから。
その何かが水流の重みに負けて崩れれば、地面が『抜ける』。
土臭いにおいは土石流が起こる兆候。
↑2014年、広島市で起きた土石流。土石流の跡が蛇のよう。
土砂崩れは蛇崩(じゃくずれ)ともいう。
(6)
各地の伝承をまとめた書物はほとんどなくなってしまいましたが、
資料3のような伝承が記されている地域の書物はほぼ全体を読むことができます。
以下の資料3と図2を参考にして、伝承が記されている地域がわかるように書物の名前を答えなさい(★★★★)
出雲国風土記
*各地の伝承をまとめた書物→風土記(ふどき)はでてきやすいが、
『伝記が記されている地域がわかるように』がポイント。
尾張国風土記や近江国風土記といったように、
【○○国風土記】と国ごとの名前が風土記の手前につく。
これを知らないと、書き込みに躊躇(ちゅうちょ)する(-ω-;)彡
資料3と図2は『国引き神話』といい、日本列島の成り立ちを説いた言い伝え。
バラバラに浮かぶ島々を綱で手繰り寄せて、日本列島をつくったらしい。
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)を祀(まつ)る出雲大社があり、出雲国風土記に記されている。
(7)
江戸時代、葬式以外でも、人びとは生活のさまざまな場面で寺院を頼るようになりました。
幕府は支配の仕組みを整えるため、人びとと寺院のこのような結びつきを利用しました。
人びとと寺院の結びつきは幕府が支配する上でどのように役にたちましたか。
2つ答えなさい(★★★★)
キリスト教の広まりを禁止する。
地域住民の管理を行う。
*幕府の支配体制に役立った、寺院の役割を問う。
変則的な問い方で難しい(;´д`)
まずは踏絵を思い浮かべよう。
隣人愛や絶対者(神の存在)といったキリストの教えは、幕藩体制における身分制度と相容れない思想だったので、幕府は踏絵を踏ませること(絵踏;えぶみ)でキリシタンをあぶりだし、キリスト教徒を弾圧した。
それだけではなく、寺請(てらうけ)制度といって、すべての人々を檀家(だんか)としていずれかの寺に所属させ、キリスト教徒ではない証明書である寺請証文をもらわなければならなかった。
こうしたキリシタンの信仰調査は宗門改(しゅうもんあらため)といい、
寺院と人々を結びつけることで、キリスト教の広まりを禁止した。
また、宗門改により宗門人別改帳 (しゅうもんにんべつあらためちょう)とよばれる、
今でいう戸籍のような台帳が作られ、住民と密着した寺院が周辺住民の管理にあたった。
(8)
キリスト教やイスラム教のようにあとから日本社会に入ってきた宗教を信仰する人が増えると、
それぞれの宗教に従った葬式が営まれましたが、それほど多数ではありませんでした。
①1850年代から1890年代まで、日本にやってきて貿易を行う西洋人は、
横浜、神戸、長崎などの都市の一角に住むことが許され、治外法権なども認められました。
西洋人が住むことや商売することを許された場所を、居留地といいますが、
西洋人の活動を居留地に限定したことは、日本にとってどのような利点がありましたか(★★★)
日本人と外国人の争いを防ぐ点。(外国の支配を最小限に抑える点)
*単純に考えて、鎖国をして引きこもっていた日本に、
外から続々と異邦人がやってきたらどうなるか?を考えてみる。
国内の秩序が乱れてしまう。
外国人の居住を自由に認めてしまうと(内地雑居;ないちざっきょ)、
価値観の違いからそこかしこでいざこざが頻発するおそれがある。
とりわけ、不平等条約によって日本の司法権が外国人には及ばなかったため、
居留地を設定して外国人の居住や商行為の範囲を限定することで係争の回避を行った。
解答例は他にもある。
たとえば、外国の支配を居留地に留めておくことで、国内の治安や秩序を守るなど。
居留地の設置は列強の支配を最小限度に防ぐための苦肉の策ともいえる。
②イスラームでは火葬はせず、土葬を行います。現在の日本では土葬は難しく、
イスラームを信仰する(多くの場合は母国)に遺体を運んで地中に埋葬する例がみられます。
しかし、イスラームを信じる人の中には、それらの国で埋葬を行うことが難しい人びとや、
それを望まない人びともいます、どのような場合が考えられますか。
具体例をあげて答えなさい(★★)
母国から難民として逃げてきた場合。
*日本に生活の本拠地を構えるムスリム(イスラーム教徒)が母国へ遺体を運ぶのは
お金も手間もかかって大変だとは思うが、麻布が書いて欲しいのはもっと社会的な話だと思われる。
シリアやロヒンギャの難民はイスラム系。
母国から命からがら逃げてきた難民たちが母国に帰ったらどうなるか?
祖国を捨てた彼らを為政者が仕返しで迫害するおそれがある。
宗教上の信念から土葬を望んでも移住先ではできず、
母国にも帰れず、板ばさみの状態にある。
なお、日本在住のムスリムのために死後の場所を提供する寺院があるようです。
⇒Buzz Feed News
(9)
1990年代後半、葬祭業者の団体は、資料4のような心がまえを表明しました。
葬祭業者の団体がこの心がまえを出したのは、人びとが葬式に対してどのようなことを
大切だと考えるようになったからですか。2つ答えなさい(★★★)
契約事項を忠実に守ってくれること。
ニーズにそくした葬儀を提供してくれること。
*問われているのは、葬祭業者の団体が上のガイドラインを作った理由で、
【人々が葬式に対してどのようなことを大切だと考えるようになったか】
⇒消費者が望むことを述べる。
2つ答えるので、6つの条項をどこかで分けよう。
1つは、『葬儀の価格を明確に表示する』『葬儀に関する情報を提供する』などから、
葬式サービスの内容を明確にして、契約内容をきちんと履行(りこう;約束を守る)してくれること。
葬式代金は値が張りがちで、なかには悪質な葬儀業者が虚偽の説明をしたり、
サービスの内容をあいまいにして高額な請求をふっかける契約トラブルが起きた。
もう1つは、利用者のニーズにこたえた葬儀の提供。
事前にどのような葬式を希望するか事前相談を受け付けたり、利用者の選択を尊重する。
近年、葬儀の方式は多様化しており、家族だけで行う家族葬、企業や団体などが合同して主催する合同葬、なかには、体の弱いお年寄りが参加できるよう、車でお焼香ができるドライブスルー葬もあるようだ。
(10)
訴訟団をつくって訴えた例として「ハンセン病訴訟」があげられます。
ハンセン病は以前「癩病(らいびょう)」とよばれ、患者たちは根強い差別をうけていました。
感染力は弱く、発症しにくいことが今ではわかっています。
元患者達は1998年にそれまでの国の対応について訴えを起こし、
2001年に裁判所の判決が出て、国は元患者たちに謝罪しました。
元患者たちは国にどのような責任があるとして訴えをおこしたのでしょうか。
以下の年表を参考にして説明しなさい(★★★)
ハンセン病の患者を隔離させる政策が時代に合わないと
国際会議の場で決定されたにもかかわらず、
それから30年間も国内で隔離政策を続けた責任。
*麻布の先生方はつぎつぎと新しい題材を発掘してきますな(;´д`)
ハンセン病の元患者たちが国に訴えた責任の内容を求める。
あたえられた年表のどこに国の問題があったか。
日本の動き(左)と世界の動き(右)を照らしながらみていく。
すると、1963年に『ハンセン病に関する国際会議で、隔離政策は時代に合わないとされた』とあるのに、患者隔離政策が解除されたのは30年後の1996年となっている。
世界標準ではおかしいとされた政策を長年放置して取りやめなかった国の責任が答えとなる。
年号が書かれてあるので、数字を書いておいたほうがベター。
@立法の不作為@
国会は法律をつくる立法府。
新しい法律をつくるべきなのにつくらないことで重大な人権侵害が生じていた場合、
このような立法府の怠慢は、立法(法律をつくる)の不作為(ふさくい;しない)として憲法違反にあたる。
(反対に、すでにある法律をなくすべきなのに廃止しないことで重大な人権侵害が生じている場合も同様。法律を廃止するときは新しい法律をもって廃止を宣言する)
ただし、立法の不作為を司法が安易に認定してしまうと、司法府が立法府にちゃちゃを入れ過ぎることになる。司法権の肥大化(ひだいか;太りおおきくなる)を招き、三権のバランス(三権分立)を侵す危険性がある。
そこで、重大な人権侵害が相当期間つづいている場合でない限り、司法の場で立法不作為の憲法違反が認められることはないようだ。この点、『らい予防法違憲国家賠償請求事件』では、本問のとおり、隔離規定の合理性が少なくとも1960年にはその合理性を欠き、違憲性(憲法違反の程度)が明白であったとして、原告である元患者側の勝訴に終わった。
(国側は控訴を断念し、一審の熊本地方裁判所で判決は確定した。当時の内閣総理大臣である小泉純一郎が正式に謝罪し、ハンセン病の療養所で生活する人々に国が補償金を支払う法律が制定された。現在も高齢の元患者たちが全国に13ヵ所ある国立ハンセン病療養所で暮らしている)
(12)
本文全体を読んだ上で考えてみましょう。
以下に2つの例題をあげます。1つは問10にあるハンセン病訴訟後のできごと(事例1)、
もう1つは最近のヨーロッパでのできごと(事例2)です。
これらを読んで、下の(1)(2)の問いに答えなさい。
事例1
2003年、ハンセン病療養所を運営する熊本県が、
元患者の旅行のためにホテルを予約しましたが、
「他の客に迷惑がかかる」として拒否されました。
当初、ホテルは謝罪しませんでしたが、
元患者や県の抗議もあり、ホテルは謝罪しようとしました。
元患者はホテルのこうした姿勢を理由に、
謝罪文の受け取りを拒否しました。
そのことがテレビや新聞で報道されると、
元患者たちへの非難や中傷が市民から多数寄せられました。
「調子にのるな」「私たちは温泉に行く暇もなくお金もないのに、
国の税金で生活してきたあなたたちが、権利だけ主張しないでください」といった声がありました。
このできごとに関するニュースが報道されると、そのたびに非難の声が寄せられました。
事例2
アフリカや中東からの市民が増えているフランスでは、
「移民などに仕事がうばわれる」と不安をいだく人びとがたくさんいるといわれています。
2017年、病院で男性が女性看護師に暴力をふるうようすが映され、
「これが今のフランスか」という説明が加えられた動画がインターネットに投稿されました。
このできごとは、本当はロシアで起きたことでしたが、
動画をみたフランス人の中には、その男性をフランスにいる移民だと思いこみ、
「移民は国へ帰れ」などの意見を書きこむ人も多くいました。
それがさらに話題を呼び、動画の再生回数が増えることになりました。
(1)
私たちの社会では、特定の人びとに対する感情がコントロールできなくなったときに、
上の2つの事例のように世間を騒がす「事件」に発展することがしばしばあります。
なぜコントロールできなくなってしまうのでしょうか。
特定の人びとに対する感情を説明した上で、
どのようなきっかけで感情をコントロールできなくなるかについて120字以内で答えなさい(★★★★★)
ただし、句読点も1字分とします。
[nlink url=”https://note.mu/sabotensabo/n/na966e52e459a?creator_urlname=sabotensabo”]
↑本問はnoteのほうで詳しく取り上げました。
下の内容をベースに改良したもので、よろしければ上のリンク先へ飛んでくださいませ。
*無責任な大人が日々ネットでグチを垂れ流す情報化社会の闇を、
12歳の男の子が心理分析する設問(;’∀’)
世の大人たちにも解かせたらよいのでは?
以下、ポイントだけ。
「特定の人びと」とはハンセン病の元患者と移民。
いずれもコミュニティ(共同体)のなかでは社会的な弱者にあたる。
ハンセン病の元患者が自分たちの意見を貫こうとすれば、
周りから「調子にのるな」「税金で暮らしているあなたたちが権利だけ主張するな」
と言われてしまった。
これらの発言には弱者に対する不満・軽蔑・侮蔑(ぶべつ)・見下しといった感情がみうけられる。
対等な立場ではなく、上から目線で衝動的に弱者を斬っている。
隣の芝生は青く見えるといわれるように、人は他人と比較して幸せを実感する生き物。
優越する地位から他者を見下すことで、心理的な安定をはかることがある。
自分より弱いものがいれば、そいつを下にみることで精神的に楽になる。いじめの構造と同じ。
では、こういった感情はどういったきっかけでコントロールができなくなるのか。
さまざまな原因が絡むと思うが、1つは記事を通じて社会的弱者の主張を目の当たりすると、
弱者がのさばって多数派である自分たちの生活や権利が脅(おびや)かされたような気がするから。
少数派の権利を擁護(ようご;守る)することは、多数派の権利を制約することにつながる。
ハンセン病の元患者の治療や療養所の建設には多額の公費があてられている。
だから「我々の税金で暮らしているくせに(ホテルの使用を拒否されたくらいで)文句をいうな」と。
移民の流入が国民の就職口を奪い、移民による犯罪で国内の治安低下を招く。
だから、「あいつらは他所(よそ)からきたのにやりたい放題だ。許せない」。
もちろん、多数派(国民)の利益が損なわれる場合もあるかもしれないが、移民の受け入れ条件や体制を整え、両者の利益をうまく調整すれば、移民の労働力を借りてより強い社会になるかもしれない。
移民の立場からすれば、命からがら逃げてきたのに受け入れ先で自分たちが少数派となり、
肩身の狭い思いをしながら細々と生活をしている人が大勢いるかもしれない。
そういった思慮をはりめぐらせることなく、まず先に批判がくる。
日本ではハンセン病の元患者が自分の周りにいる人がそれほど多くはないと思われるが、
今まで気にしていなかった存在、おとなしくしていた弱者たちの主張が記事となり、
何度も目に触れるようになれば、たとえハンセン病の元患者に出会ったことがなくとも、
「うるさい、邪魔くさい、面倒くさい、うざったい」といった心ない書き込みであふれやすい。
報道は大衆に事実を直面させる。受け手となる大衆は、そこに圧を感じ、
実際に会ったことのない相手に自分の権利や生活が侵害されるのではないかと、
不安や恐怖を感じて、弱者の意見をつぶしにかかる。
今現在、あらゆる社会派の掲示板でもよくみられる現象だ。
@@@@@@
一応、反対意見にも言及しておく。
少数者の人権を保護するのは、個人の幸福追求(憲法13条)から守られてしかるべき。
一方で、弱者の救済策や反差別運動には多かれ少なかれ”利権”をともないやすい。
「差別は許されない」と錦の御旗(にしきのみはた)を揚げ、
NPO法人が行政から多額の助成金を得て、なかには肥大化する組織もある。
弱者の救済は社会権の保障。
現状、あらゆる分野で社会保障関連費は取り合い合戦になっている。
救済をすべき対象か?救済の範囲は?
私たちが支払う税金の使い道には常に関心を寄せておく必要はある。
(もっとも、弱者の気持ちにはせることなく、即座に切り捨てるのは想像力の欠如といえる。
常に多様な視点とバランス感覚をもちあわせていたいものだ)
(2)
どちらの「事件」も、世間が注目してからより一層多くの人びとが関わり、
収まりがつかなくなっていることがわかります。
なぜつぎつぎに多くの人びとが関わっていったのですか。
そうした人びとの気持ちに注目して、80字以内で答えなさい(★★★★★)
ただし、句読点も1字分とします。
*いわゆる、『炎上』騒動と似ている。
批判や中傷が集まり、事態が収拾つかなくなる。
以下、ポイントだけ。
ある出来事が報道されて注目されると、些細な出来事であっても大きな騒動に発展する。
連日、マスコミが同じニュースを流し続ければ、騒動は加速度的に広まり、
ネットではあらゆる場所で非難が殺到する。
なぜ、つぎつぎに多くの人びとが騒動に関わっていくのか。
群集心理。
人は意識的のみならず、無意識的にも集団の影響をうけながら行動を選択する。
自分の意見のように思えて知らないうちに他者の意見に吸い寄せられて述べてしまうことがある。
サボはヤフーニュースのコメントをよく読んでいるのだが、
コメント欄で一定の”流れ”ができると、
流れに沿う意見には多くの賛同とイイネ(赤ポチ)が集まるが、
流れに反する意見には批判とバッド(青ポチ)が集まる。
しかも、前の記事と似たような内容なのに別の記事でコメント欄の流れが逆になると、
イイネとバッドの反応も真逆になる。
世論という横のつながりが薄い雑多な集まりのなかでも、
人は多数派の意見に同調しやすい性質がある。
人は他者と同じ意見や考えを共有すると、うれしい気分になる。
同じ価値観を持つ者同士で群れあえば、
同調は互いに共鳴をし、増幅しあう。
すると、「自分たちが正しい。それに逆らうものは間違っている」と、
反対意見に耳を貸すことなく、自分たちと同じ=味方、自分たちと違う=敵と区別をして、
味方か敵かですべてを判断しようとする。
味方の意見には好意的に解釈して賞賛。敵の意見には曲解してレッテルを貼り、こきおろす。
(以上のことは、現在進行形でネットのいたるところで大人たちがやっている。特に政治系はヒドイ)
移民の事例でいえば、病院で女性看護師に暴力をふるう男性が本当に移民であれば、
もとから移民を快く思わない者たちにとっては都合のよい出来事だ。
「ほらみろ。だから移民はならず者で行儀が悪いから、フランスで受け入れるべきではない」。
反響は連鎖的に反響を呼び、同調者が募り、同調は共鳴し、増幅し、
「自分たちは正しいことを言っている」
そこに疑念の余地はなくなる。
集団が大きいほど発言に対する責任は分散され、個人としての責任感も薄れていく。
(おそらく、ビデオの出来事がフランスではなく、ロシアで起きたことが明るみになっても、
そのビデオで「移民は国に帰れ」と発言した多くの人たちは自分の過去の発言を謝罪していないと思う)
匿名での書き込みは、自由闊達な意見を交流できるメリットがある。
その一方で、無責任な発言が蔓延(まんえん)し、安易な気持ちから中傷を書き込みやすい。
(心理の先生いわく、手書きで悪口は書きにくいが、タイピングでは書きやすくなるらしい)
ネット社会は人びとの情報処理を強くさせるが、同時に心を荒(すさ)ませることもある。
最後に、ネットで中傷被害を受けた、お笑いタレントのスマイリーキクチさんがツイッターで投稿した内容を紹介。
ネットモラル系の講演を受講すると、どの講師も子供のスマホの保有率と利用時間の統計、
後は悪口やネットいじめはダメって話。ネットリンチをする人は悪口だとは思ってない、
むしろ良いことをしてるつもりなんだ。
「自分では悪を懲らしめると思った行為が犯罪になる」なんて話をする人は皆無だった。— スマイリーキクチ (@smiley_kikuchi) 2018年5月24日
ネットリンチをする人は「むしろ良いことをしているつもり」と感じている。
正義感から悪を成敗する。正義とはいったい何をさすのだろうか?
@データ@
4教科200点満点、最高点144点、最低点106点。
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