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大問1
境に関するリード文
(3)
図4の地図上のあ、い、うは、それぞれ①、②、③の三つの都市を線で結んだグループを示しています。下のグラフのA、B、Cは①、②、③の各都市の1月と7月の気温と降水量を順に並べたものです。あ、い、うの各グループにあてはまるものはそれぞれどれですか。
A、B、Cより選びなさい(★★★)
あ:B い:A う:C
*冬と夏の気温と降水量から3地点の組み合わせを求める。
変化球のある雨温図問題で、相違点も少なく、難しい。
①はどれも日本海側なので冬の降水量が高くなるはずだが、A以外は微妙でわかりにくい。
1月の気温の変化で、Aだけ②が最も低い。
ここから高冷地にある、【い】ではないかと推測→い:A
残りのBとCで、③の7月降水量が多いCは、暖流黒潮の影響を受けた南よりの湿った空気が
四国山地にぶつかって雨を降らすことから。高知→う:C
残り→あ:B。
(4)
洪水を防ぐための河川改修が行われた結果、取手市の一部が対岸の我孫子市にあります。
利根川で分断されてしまった地区のために、取手市が特別に行っていることがあります。
これについて説明した文のうち、あきらかな誤りがあるのはどれですか。
図2を参考にしながら選びなさい(★★)
あ:小中学校へ通う子どものため、無料の渡し船や循環バスを運行している。
い:ゴミを収集するため、国道の橋を渡って収集車を回すルートを作っている。
う:上下水道はライフラインであるため、この地区に直接水道橋をかけている。
え:地区に消防署がないため、さまざまな災害に備えて我孫子市と協定を結んでいる。
う
*知識として知っている受験生はいない。想像してありえそうなものは×と考える。
公の施設は基本的に所属する市の責任の下で運営される。この視点は大事。
あ:取手市の子は取手市の小中学校に、我孫子市の子は我孫子市の小中学校に通うことが原則。
公立の小中学校に通う生徒のために、市が交通の手段を確保していると考えられる。
い:家庭ゴミの収集・処理は市の責任。ゴミが排出された場所のなかで処理する。
分断された地区のゴミも取手市が処理責任を負う。【あ】と同じ。
う:確かに水道はライフラインだが、利根川を挟む地形でわざわざ水道橋を渡してまで
水道のやり取りをする必要性はあるか?ここに疑問をもてるかどうか。
水道網は行政区画というより、地形や水道の需要量を総合して広域的に考慮される。
よって、上下水道は複数の市町村をまたいで供給されるときがある。
え:消防署も市町村単位が原則。ただし、火事の消火は緊急性が高いため、
住民を守るために隣の我孫子市と協定を結んでいるのではないか、と推測できる。
なお、警察は都道府県単位が多い(千葉県警、埼玉県警など)。
(5)
日本の歴史のなかで人びとが暮らす地域としての村が、今の姿のもとになるような形になったのは、鎌倉時代から室町時代にかけての時期だといわれています。
村には人びとの暮らしのすべてがありました。人びとにとって村は、単に住む場所というだけでなく、生きるために必要なものをうみだすための場所だったのです。当然、村と村との間の深刻な争いも起こったことでしょう。しかし、いったん境が定まれば、その境があることで無用な争いを避けることもできたはずです。境の始まりはそのように考えることもできます。
次の資料1にあるような掟は、村を成り立たせるうえで、どのような役割を果たしていたと考えられますか。当時の村の暮らしを考えて、説明しなさい(★★★★)
資料1
・よその村人は、身元を保証する人がいなければ、村に住まわせないこと。
・村の森で、勝手に木を切った者は、村人ならば村の寄合から外すこと。
・無断で寄合を二回欠席した者は、罰金として五十文を支払うこと。
村人同士の結束を高め、共同体である村をまとめあげて秩序を維持する役割。
*掟の内容から、その役割を求める。抽象性の高い解答で書きにくい。
「村を成り立たせるうえで、どのような役割」があるか。
みなが好き勝手にバラバラな行動をとると、社会は”無秩序”になって混乱してしまう。
村の存続には、村社会に”秩序”が保たれていなければならない。
人のものを盗んではならない、人を殺してはいけない。
罪を犯して罰せられるのは社会秩序維持のため。
各々の村では独自の秩序がつくられ、村といえど国家の統治権のような強い自治が行われていた。
強い自治権を行使するには村人たちに対し、
コミュニティ(共同体)の構成員としての共同意識(結束)が求められる。
A村の村民であればA村のメンバーであるという強い意識を持たせて、集団をまとめあげる。
身元保証人がいなければ村外の者を住まわせない。
村社会を維持するうえで必要な問題を寄合で話し合う。
掟に違反した者には罰を与え、村八分とする。
暮らしのすべてがある村の秩序を守るために、村人たちは一致団結をして組織力を高める。
社会の秩序を守るために、個人の自由がある程度、犠牲となる社会情勢であった。
(6)
江戸幕府が関所を設けた理由は何ですか。
信長と秀吉が関所を廃止した理由と比べながら説明しなさい(★★)
信長と秀吉は経済を活性化させるために関所を廃止したが、
江戸幕府は幕府の支配体制を強化するために関所を設けた。
*対比構造で述べる。
“入り鉄砲に出女”というワードもあるが、その理由は支配体制の強化。
(7)
キリスト教の布教に関係しない書物は、次第に持ち込むことができるようになりました。
このことに関わりのある前野良沢とは、どのような人物ですか。説明しなさい(★★)
杉田玄白とともにオランダの解剖書を翻訳し、解体新書を出版した。
*ドイツの解剖書「ターヘル・アナトミア」のオランダ語訳を翻訳した。
人物名ではなく、どんな人物かを書かせるところが、いかにも国立志向の問題。
(9)
かつて沖縄では、独自の王国がありました。琉球王国です。
琉球は、中国や東南アジアの国々との交易で大変繁栄していましたが、
江戸時代、薩摩藩が武力でこの王国を支配するようになりました。
幕府も琉球に江戸まで使節を派遣することを要求しています。
その際、幕府は琉球の使節に日本人とは異なる服装で来ることを求めたといわれています。
それはなぜですか。幕府の考えを説明しなさい(★★★★★)
幕府が外国を従えているように見せかけることで、幕府の権威の高さを知らしめた。
*クソムズ。朝鮮通信使は聞いたことあると思うが、琉球にも使節の派遣を命じていた。
なぜ、わざわざ使節に異国風の服装で来させたのか。
それは幕府のプライド。江戸幕府は中国と朝貢をしなかったが、
(朝貢とは中国の皇帝に貢(みつ)ぎ物をさずける代わりに返礼品を受ける外交形式)
朝貢をすると中国より下に見られるようでイヤだったから。
そのプライドの延長として、日本が琉球を従えている様を周りに見せつけた。
”国のプライド”という大きな視点が大事!
ちなみに、2017年の筑駒でこんな問題が。
琉球に中国から使いがやってくると、薩摩の役人は身を隠した。日本の年号や日本人名の入った書類は隠したり、日本のお金を使ったり歌をうたったりすることも禁止した。もし、日本との関係をうたがわれたら「日本の支配下にある宝島(現在の鹿児島県トカラ列島の一部)と交流しているためである」とごまかすことにしていました。
(「隠しごと」をした理由)
中国は皇帝へ使いを送って来ない日本との( ① )を認めなかった。そのため、薩摩藩は琉球王国に
中国との( ① )を続けさせてその利益を得ようと考えた。また、琉球王国は薩摩藩に( ② )されていることを隠してこれまで通りに中国との関係を維持し、王国を存続させようと考えた。
①交易②支配
薩摩藩は琉球の支配を隠して、琉球と中国の交易関係による中継貿易の利益を裏から得ていた。
(11)
下の表は、幕末から明治30年代まで(1865~1900年)の日本の輸出品と輸入品の貿易額を表しています。総計に占める割合を見ても、生糸は輸出品の重要な柱でしたが、そのほかの輸出入品には変化が見られます。この時期に進められた工業化について、この表から重要と思われる品目をいくつかあげて説明しなさい(★★★)
紡績業の発達により、生糸や絹織物のほか、綿糸と絹織物の輸出量が拡大するとともに、
その原料である綿花の輸入量が増加した。
*闇雲に資料を眺めるのではなく、題意をくみ取る必要がある。
生糸以外の「そのほかの輸出入品」とはなんだろう?
輸入品目をみると、綿花・綿糸・綿織物・毛織物と紡績関連がセットで表れる。
輸出品目では、1890年代から綿糸が急速に増え、全体的に繊維業の隆盛が目立つ。
とくに紡績業は製糸業に代わる新たな工業として注目された。
品目は貿易額ではなく、総計との割合で比べる。綿花の輸入割合が著しく増加している。
よって、「この時期に進められた工業化」は”紡績業”がキーワードとなる。
あとは綿糸を輸入して、それを綿糸や綿織物に変えて輸出するという加工貿易の流れ。
大阪は綿工業の中心地となり、東洋のマンチェスターとよばれた。
@製糸業と紡績業@
製糸業とは、カイコから生糸をつくる工業。生糸を織り込んで絹織物になる。
一方、紡績業とは生糸以外、綿花からつむがれる綿糸や羊などの動物からつくる毛糸など。
(12)
資料2は、秩父と横浜を結ぶ街道からほど近い、五日市にある農家の蔵から見つかった文章の一部で、1880(明治13)年に、新しい憲法の草案として書かれたものです。
この文章を書いたのは、千葉卓三郎という仙台藩の下級武士だった人物です。
彼は当時、五日市で教師をしていました。
資料2
第76条 すべての日本国民には、日本全国で同じ法律が適用され、
同じように保護を受けることができる。
特定の地方出身者や個人、家柄、一族に特権を与えることはない。
①この条文を書いたとき、千葉卓三郎は当時の政治のあり方についてどのようなことを考えていたのでしょうか。彼の経歴に注目して説明しなさい(★★)
出身や身分によって異なる扱いを受ける、不平等な政治だと考えていた。
*見たまんま、素直に答える。
今では当たり前のことが、むかしは当たり前ではなかった。
すなわち、すべての日本国民が同じような保護を受けることができず、
特定の出身や身分に特権が与えられていた。
当時は藩閥政治といって、薩長土肥(薩摩・長州・土佐・備前)の四藩出身者が
政治の中心を独占する政治体制であった。
仙台藩出身の下級武士であった千葉卓三郎のように、
四藩をのぞく士族の不平不満がつのり、その後の自由民権運動につながる。
②当時の五日市で、自由民権運動が盛んだったのはなぜですか。説明しなさい。
(リード文より)
秩父や関東山地の山麓一帯で生産された生糸の行き先は横浜でした。峠を越えた生糸は現在の東京都西部に出て、神奈川県の相模原台地を横浜に向かって運ばれました。
その途中には五日市(現在のあきる野市)や青梅(おうめ)、八王子などの町がありました。
明治維新から10年ほどたつと、全国的に自由民権運動が盛んになりますが、秩父に限らず、
これらの町でも自由民権を主張する人びとの活動が活発だったといわれています(★★★★★)
欧米から始まった近代的な民主主義の思想が横浜に輸入され、
生糸の通り道にある五日市にも影響を及ぼしたから。
*ここも難しいっすな(゚Д゚)
生糸の輸送路と五日市の自由民権運動にはつながりがあった。
議会制民主主義(国民から選ばれた国民の代表者が国会で話し合って政治を行う考え)や、
立憲主義(憲法をつくり、国家権力の暴走を食い止め、国民の人権を守る考え)は
イギリスやフランスから始まり、先進国である欧米を中心に広まった。
自由民権運動が盛んになるためには、こうした海外の思想に触れていなければならない。
次に、生糸の行き先である「横浜」という場所の性格をおさえる。
日米修好通商条約で開港した横浜港では外国からの船が数多く寄港した。
こうした海外との接点がある港湾都市から、ハイカラな文明開化が広まる。
↑横浜の赤レンガ倉庫。西洋風の建築様式がみられる。
ここまでくれば、わかるはず。
答えは、海外の思想が横浜へ流れ込み、生糸の流通経路をさかのぼって五日市に影響を及ぼしたから。思想の原点が海外なので、”世界的な思想の流れ”というダイナミックな視点が求められる。
自由民権運動では、「わたしだったらこんな憲法を書く!」と私擬憲法を出しあって盛り上がっていた。有名な私擬憲法の1つが、千葉卓三郎が起草した「五日市憲法」。
(13)
秩父では1884(明治17)年に大きな事件が起こっています。
銃などで武装した数万人の農民達が政府の軍隊と衝突する事態にまでなって、
自由民権運動のなかでも最大の事件として記憶されています。
明治政府はこの事件を少数のならず者やばくち打ち、
脱獄者が農民たちをそそのかして起こした事件であると発表しました。
政府はどのような考えでこのような発表をしたのですか。説明しなさい(★★★★)
政府に対する批判を別の者に反らすことで、過熱した自由民権運動をおさえたかったから。
*いわゆる秩父事件。
自由民権運動が過熱し、暴動に発展した一連の騒動を激化事件といい、
なかでも最大規模の激化事件が秩父事件である。
自由民権運動のさなかには過激派があらわれ、
政府は行き過ぎた運動をどうしてもおさえたかった。
そこで、政府への批判や不満のはけ口を別の者に反らさせることで、民権運動の鎮静化を図る。
いわゆるスケープゴートといわれる手法で、
責任を生贄(いけにえ)に転嫁(てんか)させてなすりつけるもの。
生贄の対象は少数者が選ばれることが多く、
秩父事件では「ならず者、ばくち打ち、脱獄者」が狙われた。
(当時、松方デフレとよばれるデフレ不況が起こり、
とくに秩父地方の養蚕農家は生糸の暴落で深刻な経営難におちいった。
農民たちは「自由民権に勝利すれば救われる」と信じたことで秩父事件が起こる。
本問はこれを知らなくても解ける)
(14)
境を設けるということは、ものごとをある一定のグループにまとめることです。
ある1つのグループにまとめると、別のグループとの間に境ができるのです。
そうした意味での境は人の一生のなかにもあります。(15歳で就労可能、18歳で有権者、65歳で高齢者)こうした年齢という境には、それぞれの社会や時代の都合や必要が影響しているといえそうです。社会の都合や必要から境が設けられることで、人びとが混乱し、ときには困ったり、苦しんだりする例は、年齢のほかにもあります。そうした例を一つあげ、どのように人びとが混乱したり、あるいは困ったり、苦しんだりするのか、80字以上100字以内で説明しなさい(★★★★)
省略!
*年齢以外の「社会の都合や必要から設けられた境」によるデメリットを答える。
境の明確な定義がないので書きにくい。あらゆる方向に発想を飛ばさなくてはならない。
境がひかれることでの混乱、困難、苦しみ。書きやすい事例は差別問題か。
国民と外国人、部落出身者か否か、奴隷制度、人種差別、女性差別、
先住民族と支配者、障害者と健常者、性的少数者と性的多数者など。
差別による困難は、いじめ、就労、婚姻、社会保障、社会的孤立、経済格差、文化の破壊など。
麻布だけでなく、難関中学はリベラルな問題がよく出題されるので、
代表的な差別問題のあらましはいくつか知っておきたい。
憲法14条に列挙される、『人種、信条、性別、社会的身分、門地(家柄)』による差別だけではなく、「社会の都合や必要から設けられる」境であれば何でもいい。
学歴差別とか、クラス分けなどのカテゴライズとか。
困難の内容がきちんと書けて、そこそこつじつまが合っていれば正解になると思う。
(15)
境は異なるもの同士が接する場所です。その境をめぐっては、こちら側からあちら側に越えたり、
あるいはあちら側のものをこちら側にむかえ入れたりすることが行われます。
このことが混乱を引き起こすこともありますが、
むしろ活力になって、社会に良い影響をあたえることもあります。
社会のなかで、異なるもの同士が接し交わることが、活力を生むことにつながるのはなぜですか。
具体的な例をあげながら、80字以上100字以内で君の考えを述べなさい(★★★★★)
省略!
*境によって分断されても、異なるもの同士が交わることで、
社会に「良い影響」をあたえることがある。
違うものと交流することで得られる、良い影響とは何か?
それは自分の常識を破壊して、新しい視点でものごとをとらえられること。
自分と異なる他者の意見に触れることで、これまでの常識が破壊されるリスクがある一方、
多様な視点で世界をながめることができるメリットがある。
21世紀のテーマは”多様性(ダイバーシティ)”といわれることがある。
価値観が大きく流動する現代社会で強く生き残るためには、
縛(しば)られた固定観念を打破し、柔軟な思考と複眼的な考察が求められる。
多様な価値観に触れることは個人のみならず、個々人の相乗効果によって
社会に大きな創造をもたらす可能性を秘めており、
境をとっぱらうことは、そのような起爆剤となりえる。
解答は具体例を交えながら、多様性に関するメリットの一般レベルで書ければOK。
字数制限もあるので、細かい論証は不要。
多様性が社会をどう強くするのか。知らないと、やや書きにくいかもしれない。
もちろん、多様性以外を主眼にした解答でも、つじつまが合っていれば正解になる。
たとえば、国境を超える自由貿易は世界レベルで大きな経済効果を生む、など。
「社会に良い影響」が何を指すかは1つに限らない。
本問の切り口は多様だと思われるので、解答パターンは他にもある。
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