〔九州の県を旅したレポート〕
(2)次の表は、都道府県内に複数の政令指定都市がある都道府県に関するデータをまとめた表で、ア~エはいずれかの都道府県があてはまります。
ア~エにあてはまる都道府県名を、それぞれ漢字で答えなさい(★★)
ア-大阪府 イ-神奈川県 ウ-福岡県 エ-静岡県
*記入式なので、複数の政令指定都市をもつ都道府県4つがでてこないと解答できない(;’∀’)
神奈川(横浜・川崎・相模原)、大阪(大阪・堺)、静岡(静岡・浜松)、福岡(福岡・北九州)
この4つがでれば、人口の順位だけでなんとかなる。
(3)次のつち、福岡県の伝統工芸品を選びなさい(★★)
ア:大島つむぎ イ:久留米かすり ウ:十日町ちぢみ エ:西陣織
イ
*地名であてる。
北九州工業地域に属する久留米市はブリヂストン(ゴム産業)の工場がある。
ホリエモンや本村弁護士の母校である、久留米大附設中学という九州の名門国立中学校もある。
ア…鹿児島 ウ…新潟 エ…京都
(4)黒田氏が建てた福岡城では、奈良時代から平安時代にかけて、唐・新羅などから来た外交使節をむかえたり、貿易をおこなったりする大事な建物があったところでした。
遣隋使や遣唐使、足利義満らが日明貿易をおこなったころまでの外交とくらべて、
今の外交はどのような特色がありますか(★★★★★)
「当時の外交は~」につなげて、三つあげなさい。
・当時の外交は日本が中国の皇帝の下につく朝貢形式であったが、
今の外交は対等な立場で交渉を行う。
・当時の外交は外交使節の派遣などに形式や儀礼が重んじられる場合があったが、
今の外交は形式にとらわれずに円滑なやり取りが行われる。
・当時の外交は1対1、もしくは周辺諸国の関係を主に考えればよかったが、
今の外交は国際情勢が複雑になり、外交方針を決定することがより難しくなった。…など。
*今の外交の特色を異なる視点から3つ述べる。
解答の形式としては「当時の外交は…、今の外交は…。」と対比構造で書くとやりやすい。
朝貢方式は思いつきやすい方かな?
中国の皇帝に使節を送って貢ぎ物を献上する代わりに、皇帝から位や返礼品を授かるというもの。
形式的には皇帝をあがめる立場だが実際は支配関係にはあらず、日本の主体性は維持されていた。
残りが厳しい(||゜Д゜)
上の解答例の2番目は、リード文の「外交使節」をヒントに、
形を重んじるか否かの対比を念頭に書いてみた。
3つ目はリード文からひねり出せなかったので、「今の外交の特色」から逆算して書いた。
もちろん、解答例は複数ある。解答の切り口が限定されないからこそ、外交というイメージしにくいテーマを想像しなければならないので難問。
外交は外国政府との交渉。
日中の尖閣諸島や米中の貿易戦争など、具体的な国際問題を思い出してみよう。
↑中国外務省の人。優秀な方なんだろうけど、消されたのか最近見かけなくなったな。。
(5)リード文の穴埋め問題。
『ぼくが知っている熊本県のことは、世界最大級のカルデラをもつ阿蘇山があることと、四大公害病の1つである水俣病が発生したこと、そして鉄道ファンなので日本三大急流の1つ( 6 )川沿いを走るSL人吉(ひとよし)号などでした』
( 6 )に当てはまる言葉を答えなさい(★★★)
球磨
*やや細かい知識。漢字指定ではないので、ひらがなでもOK。
日本の三大急流は最上川(山形)と富士川(静岡など)があげられる。
(6)加藤清正(熊本城を築城した人物)の子孫が熊本の領地を幕府から取り上げられたころを調べると、多くの大名が幕府によって領地を取り上げられていました。その大半が、あとつぎがいなかったことを理由としていましたが、それ以外のさまざまな理由でも数人の大名が広大な領地を取り上げられていました。そして取り上げた広大な領地を、幕府は新しい大名に与えました。そこには、幕府のあるねらいを読みとることができます。
次の図1~2は、1619年に広島を支配していた福島氏が、図3~4は1622年に山形を支配していた最上氏が、図5~6は1632年に熊本を支配していた加藤氏が、それぞれ幕府に領地を取り上げられた前後のようすをあらわしています。
これらの図からよみとれる、幕府のねらいを答えなさい(★★★)
なお、図中に示した斜線の丸は外様大名、黒い丸は譜代大名をあらわしています。また、10万石以上の大名は図中に名前が書かれています。
譜代大名に領地を与えることで有力な外様大名の監視にあたらせ、幕藩体制の維持を図った。
*江戸時代は幕府を中心に、地方は各藩(大名)が治める統治体制であった。
関ヶ原の戦いの前後を境に、幕府側を譜代大名、敵対者を外様大名と分け、信頼の薄い外様大名が反乱を起こしても防げるように遠くに配置された…というのをどこかで聞いたことあるはず。
図をみると、10万石以上の有力な外様大名の領地のあいだに、●の譜代大名がポっと表れている。外様大名らの動向を見張るために幕府がそこに領地を与えたと考えられる。
(7)熊本の海の方に向かうと下の写真のような水田の広がる風景が一面に広がっていました。
ここはもともと海だった地域が一面の水田になりました。
①写真のような水田の広がる風景は、どのような方法でつくられたものですか。
簡潔に説明しなさい(★★★)
陸地に近い海の一部を堤防で仕切り、水をぬいて土地をつくった。
*異様に書きにくい(‘Д’)
もともと海だったところに水田をつくる方法を述べる。
干拓を書けばよいが、それだけだと解答欄がうまらないので、
干拓の中身を丁寧に記述すればOKだと思われる。
②写真のような風景は江戸時代からつくられていきました。
とくに1910年代末の事件をきっかけに食料を増産する必要性が高まり、
(1)で説明した方法が積極的にすすめられました。
この事件の名称を答えなさい(★★)
米騒動
*1910年代末なので、1918~19年あたりでコメの増産に結びつく事件。
1914年に始まった第一次世界大戦で日本は大戦景気を迎え、物価が上昇。
さらに農村部から都市部への人口が流入したことで、就農者の数は減少、
次第にコメは投機の対象となり、買占めや売り惜しみが行なわれ、米価は上昇する。
そこにロシア革命への介入(シベリア出兵)が重なり、高騰に拍車をかけた。
富山の主婦たちが立ち上がったことを機に、騒動は全国に広がる。
↑米騒動100年-宇部炭鉱・山口県-より。
インフレ具合はすごいのに賃金はさほど上がらないのは今も昔も同じ。。
米騒動で寺内正毅(まさたけ)が辞職した。
ちなみに、今回は問われなかったが、い草も水田で作られる。
(8)リード文の穴埋め問題。
『しかし、豊臣秀吉や江戸幕府はキリスト教を厳しく取り締まり、宣教師は国外へ追放されました。さらに、1637年、キリシタンが蜂起して( 10 )城跡に立てこもった島原の乱(島原・天草一揆)をきっかけに幕府は、「鎖国」を確立しました』
( 10 )に当てはまる言葉を答えなさい(★★★★)
原
*ムズ~(´゚д゚`)
歴史マンガにはでてくる。
リード文で「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産として登録されたので、
時事を含むがやはり難しい。
(9)長崎県のハウステンボスの近くにある港は、第二次世界大戦後に中国や南洋諸島から日本にもどってくる人が上陸した港の1つです。この港では、入港した船や上陸者には厳しく検疫がおこなわれました。現在でも、海外から帰国すると、健康に関する質問票が配布され、必要事項を記入して検疫カウンターへ提出します。出発国や地域によっては旅行中に体調のすぐれなかった場合や、肉類、果物、動物、植物等を日本国内に持ち込む場合にも検疫をうける必要があります。
なぜ検疫をおこなう必要があるのですか、その理由を答えなさい(★★)
海外で発生した伝染病を日本国内に持ち込ませないようにするため。
*検疫の理由。
検疫を聞いたことがなくても、問題文から想像することはできる。
疫(えき;伝染病)を検査するから検疫という。
鳥インフルエンザやエボラ出血熱でも話題にのぼった。
伝染病の疑いがある人は隔離措置を受け、しばらくの間、身体の自由が拘束されます。
(10)②
朝鮮戦争で戦った国の首脳が、今年6月にシンガポ-ルで史上初の会談をおこないました。
この会談をおこなった首脳の名前を二人答えなさい(★)
トランプ・金正恩
*犬猿の仲。
(11)明治政府も引き続きキリシタンを厳しく取りしまりました。
この取り締まりは1868年に明治政府が民衆に向けて出した5つの命令の1つである。
この命令の名前を答えなさい(★★)
五榜の掲示
*漢字指定ではない。
五箇条の御誓文は明治政府の基本方針を定めたものであり、
五榜の掲示は民衆に対して向けたもの。第三札にキリスト教の信仰禁止が記された。
(12)「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されたことにつき、
どのような課題が考えられますか。次の資料を参考にして答えなさい。
また、その課題に対しあなたはどのようにすれば解決できると考えますか。
もっとも大事だと思う方法を一つあげなさい(★★★★)
@資料1@
カトリック信者が住民の6割を占める「外海の出津(しつ)集落」(長崎市)。
世界遺産登録決定から一夜明けた1日、集落内の出津教会堂には、日曜朝のミサが終わった頃から徐々に観光客がやって来た。
帽子をかぶったまま聖堂内に入ろうとする女性がいた。「恐れ入ります。脱帽でお願いします」。
教会守の尾下シゲノさん(69)が優しく声を掛ける。女性は気付いて帽子を取った。
今後、夏休みや秋の観光シーズンには観光客が押し寄せるかもしれない。
尾下さんは「教会に来てもらうのはうれしい。だけど、どっと来られると余裕がなくなり、笑顔で迎えられなくなるのでは」と不安を口にする。
出津教会堂は明治時代の1882年、フランス人宣教師のド・ロ神父の指導で建てられた。
130年以上、信者が毎朝のように祈りをささげる生きた祈りの場だ。
同教会堂の山口竜太郎神父(41)は「神様が一緒にいてくださることを意識するのが祈りのとき」と話す。朝晩、食事の前後など日常的に祈りがある。信者にとって祈りは生きることと直結している。その中心が日曜日のミサで、教会を自分の家以上に大切と思う信者もいる。
長崎市の70代の男性信徒は「教会は信者にとって、いつでも開かれている祈りの場。そこに大勢にの人がわいわい言いながら入ってくると集中できない」と心配する。
(中略)
離島に住む60代の男性信徒は「世界遺産になれば信徒には大変なことばかり。何のメリットがあるのか。でも、地元の活性化のために協力したい」と複雑な心境をのぞかせる。遺産を訪れる来訪者一人一人に、信者の生活を配慮する意識が求められている。(長崎新聞2018年7月4日1面)
@資料2@
黒島天主堂は1975年ごろに大規模な改修をした。当時を知る信徒によると改修費は約5千万円で、一世帯当たり20万円ほど出し合った。だが、当時とは島の状況が大きく異なる。75年には約1500人が暮らしていたが、過疎化で現在は約430人に減った。人口の8割が信徒とされるが、島内では「前回の改修よりも各世帯の負担がもっと重くなるのではないか」と不安の声が強い。
県が資産保全のために積み立てている基金は2015年に創設。主に企業・団体の寄付で8400万円が集まっている。これまでに改修工事の補助金として江上(えがみ)店主号(五島市)に160万円、大浦天主堂(長崎市)に350万円を支出した。
今後、基金は約1億5千万円まで確保するめどが立っているが、目標額の3億円には遠い。県は登録を機に寄付の呼び掛けを強化する意向だ。4月からは県庁や関係市町の庁舎などに募金箱を置き、少額の寄付を募っている。県は「県民全体で遺産を支えてほしい」と呼びかけている。
(長崎新聞2018年7月6日24面)
@資料4@
世界文化遺産への訪問者数の推移(登録前後の指数)
世界遺産登録にあたる課題とその解決方法を記述する。
試験時間が35分しかないので、テキパキ読んで記述の構成を素早く立てなければならない…。
なお、解答用紙では(課題)が6行、(解決方法)が2行となっている。
以下、ポイントだけ。
複数の資料が提供されている場合は、各々に問題作成者が解答にいれてほしい要素がある。
資料1は、地元住民の不安の声。日常の生活である日曜のミサが、どっと押し寄せる観光客で集中できなくなるのではないかというもの。地元の活性化にために協力したい気持ちはありつつも、信徒たちの信仰行為に影響がでる懸念を抱いている。
資料2は、天主堂の改修費。
いきなり金銭の話になるが、とりあえず、改修にあたる寄付金の額がピンチであると。
資料3は、地元住民の意識。
資料1にでてきた住民のように、他の住民たちも世界遺産は大切に守っていくべきとしながらも、生活に支障をきたすようであれば登録はいらないと考えているようだ。
資料4は、訪問者数の推移。
世界遺産登録にあたるメリットは観光収入であるが、折れ線をみると、確かに登録の前後は平泉も石見銀山も訪問者数が増えているが、時の経過とともに減少傾向にある。
目されるほどの観光収入が期待できないのではないか、という課題が浮かび上がる。
総合すると、資料1・3から、地域住民の日常生活がおびやかされる不安。
資料2・4から、期待されるほどの収入は見込めず、天主堂の改修費がまかなえない可能性。
この2点を(課題)としてまとめる。
(解決方法)は2点のうちどちらか1つを選び、有効な解決策を考える。
資料1の最後に「遺産を訪れる来訪者一人一人に、信者の生活に配慮する意識が求められている」とあるので、ここをヒントにすると書きやすいと思う。
外からくる観光客に配慮を求めるにはどうすればよいか。
観光客に地元住民の祈りを妨げないように周知する。
脱帽など教会のルールを広く知らせる。
周知の方法は、観光客がどうやって世界遺産に訪れるかを考えればいい。
昨今はネットで調べる人が多いので、地元の観光教会や遺産施設のサイトに注意事項を掲載したり、旅行雑誌やテレビなどのメディア関係者にも働きをかける。
ツアーガイドの人に注意をいれてもらう。
なるべく人が1か所に固まらないように分散したり、
大事な日曜日の朝は避けるよう時間帯をずらしてもらう。
もちろん、資料4から訪問者数の減少をふせぐ解決方法でもよい。
試験時間は35分しかないので、上出来な作品でなくとも、
最低限の要点さえおさえておけば及第点はもらえるんじゃないかな?
@データ@
50点満点 受験者平均点28.1点 合格者平均点34.1点
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