大問1
動物園の歴史に関するリード文
(1)イギリスで2016年に起きた出来事について、
その正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★★)
X:イギリスでは欧州連合(EU)からの離脱を問う国民投票が行われ、
EUからの離脱支持票が反対票を上回りました。
Y:キャメロン首相が辞任し、イギリスでは初めて女性のメイ首相が誕生しました。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
2
*X:シリア難民の取り扱いをめぐり、EU諸国は自国優先か国際協調かで世論が分裂した。
イギリスの国民投票では、leave(離脱)or stay(残留)の二択でleaveが僅差で上回った。〇
Y:イギリス初の女性首相は鉄の女こと、マーガレット・サッチャー 。×
有名人だが世界史を習わない小学生にはやや難か。
(2)世界では19世紀末までに多くの動物園が開園しますが、
それはヨーロッパの国に集中していました。なぜヨーロッパに集中してたか。
その理由を19世紀末の世界情勢を考えて答えなさい(★★★)
植民地支配した国や地域から様々な動物を手に入れたから。
*動物園が欧州に集中していた理由を考えるという、トリッキーな記述が2問目に登場する。
設問に対して解答用紙が短いので、要約しても欄が足りないような。。
19世紀の世界情勢といえば帝国主義。
イギリスなどの西欧諸国(列強)がアフリカやアジア諸国への植民地支配を広げる。
めずらしい動物は植民地から仕入れたもの。自分の動物園にどれほど多くの動物を展示できるかが、自国の力強さを誇示するバロメーターにもなっていたのだと。
(4)「恩賜(おんし)」上野動物公園と表記されているのは、
1924年に動物と敷地が皇室から当時の東京市に与えられたためです。
当時の天皇について、その正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★★)
X:当時の天皇は、衆議院と貴族院の両院に解散を命じることができました。
Y:当時の天皇は、宣戦布告や講和、条約を結ぶことができました。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
3
*明治憲法の細かい条文を知らなくても、解けなくはない。
X:解散権は天皇にあったが、参議院と一緒で貴族院に解散制度はない。×
Y:3つの権限が天皇にあるか、確信をもつことが難しい。しかし、宣戦布告、講和、条約の締結といった重要な対外的権限(外交大権)は、主権者かつ統治の総覧者である天皇に属していただろうと推測できる。○
外交大権は天皇大権の一。明治憲法下では君主主権であった。
(5)1943年に、ある理由から猛獣の殺処分の指示が全国の動物園に出されました。
その理由を述べなさい(★★)
空襲でおりが壊されて、脱走した猛獣に市民がおそわれないようにするため。
*これも変化球のある出題だが推測しやすい。1941年は太平洋戦争勃発。
戦時中に猛獣を殺処分しなければ、どんなことが起こるかを考えればいい。
戦争の被害者は人間だけではなかったということ。
(7)動物園の展示動物は国際親善のために各国から寄贈され、
平和外交の象徴的な役割を担いました。
中国からジャイアントパンダが初めて贈呈されるきっかけとなった出来事について、
その正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★★)
X:福田赳夫首相と周恩来首相が、日中の国交を正常化しました。
Y:日本と中国の外交関係の発展のために日中平和友好条約を結びました。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
4
*中国からジャイアントパンダ(ランランとカンカン)が贈られたのは日中国交正常化(1972)。
これを知らないと太刀打ちできない。資料集には載ってるかな?小学生にはシビアかも。
X:日中国交正常化は田中角栄内閣。福田赳夫は日中平和友好条約(1978)時の首相。 ×
Y:日中平和友好条約。ランラン・カンカンを知らないと無理。×
(8)20世紀の終わりになると、市民の動物園離れが始まりました。
これについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★★)
X:円安が続き、日本人の海外旅行者数が増え続けたから。
Y:動物から人への感染症を防ぐため、動物園で動物にさわることや、
えさやりを法律で禁止したから。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
4
*X:円安は海外旅行者に不利なので×。1$=100円から1$=200円へ円安ドル高になった場合、1万円で両替できるドルを計算すればわかる。
Y:そんな法律、聞いたことがない。×
もし、感染症が疑われる動物があったら、その動物だけを動物園から隔離するはず。
なぜ、20世紀終わりに市民の動物園離れが始まったのか。様々な原因があるようだが、1つはメディア(テレビなど)を通じて動物に触れる機会が増えたことで、直接、動物園に行かなくても良いと考える市民が増えたから。また、動物園以外の娯楽施設の種類が増え、動物園の魅力が相対的に下がってしまったことも挙げられる。
(9)環境問題を担当する環境省について、
その正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★★)
X:自然の豊かな地域を国立公園として守り、
絶滅のおそれがある動植物を守ることを担っています。
Y:国民の生命や身体を等しく守るために、自治体ごとに定めた環境基準を規則をなくし、
国の環境保護基準に統一しています。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
2
*X:環境省は独自のレッドリスト(絶滅危惧種のリスト)を作成し、その保全に努めている。○
Y:環境行政に少し突っ込んだ内容。政府が定める環境基準を参考にして、
各自治体はそれと異なる環境基準を環境基本条例で定めている。×
これは自治体ごとに環境問題の背景や事情が異なるので、各々の事情に沿うルールを作る必要があるから。情報公開条例と同様に、公害行政は国より地方が先行して実施した経緯がある。
@上乗せ条例@
憲法94条では、地方公共団体の条例制定を「法律の範囲内」と限定しているが、
公害規制では国が法律で定める基準よりも高い(厳しい)基準を自治体が条例で定めても、
その条例は憲法違反にあたらず、許される場合がある。
つまり、条例の内容が法律の内容を超えても良い場合があるということ。これを上乗せ条例という。
(10)絶滅危惧種を保護するための条約について、
その正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★)
X:国際的に重要な湿地およびそこに生息する水鳥などの動物の保全のため、湿地の破壊を防いでいます。
Y:日本は象牙製品の輸出入を禁止して、アフリカゾウの保全をめざしています。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
1
*X:ラムサール条約。『湿地の及び湿地特有の動植物特に水鳥の生育地としての湿地』の生態学的機能を考慮して湿地保全に努める。〇
Y:なにかの本で触れていないといけない。象牙は高級な印鑑などに使われるが、乱獲によりアフリカゾウは減少した。絶滅危惧種となったアフリカゾウを保全するため、ワシントン条約では象牙の取り引きと原則禁止とした。○
↑象牙(アイボリー)
(11)公営の動物園の多くは、入園者が減少したことで収入が減り、経営に苦しんでいます。
その一方で、なぜ多くの公営の動物園は収入不足なのに経営を維持できるのですか。
その理由について、赤字をうめることができる主な収入源にふれて答えなさい(★)
運営資金として税金が投入されているから。
*「公営」から収入源は想像できる。
(12)日本の公営の動物園では、繁殖を優先させることが難しいといわれています。
これは公営の動物園の動物は原則としてその自治体の財産であるので、
繁殖のために他の動物園に動物を移動させることが難しいと考えられているのですが、
その理由について答えなさい(★★★★)
市の重要な財産の移動について、市民の理解を得られにくいから。
*いくつか答えはありそうだが、入試の現場で思いつくのは至難の業。
ポイントは「公営の動物園の動物は自治体の財産」=公の財産。
公の財産の移動は容易ではなく、動物の貸し出しにあたっては行政内部で複雑な手続きを要する。
たとえば、首長である市長の承認を得たり、地方議会での説明責任を果たさなくてはならない。
とりわけ、繁殖を求められる動物は希少性の高い動物であることが多く、貸し出し期間中は動物園の目玉となる動物がいなくなってしまうので、市内動物園への来園者減少や収益減に直結する。
また、移動中や移送先の動物園で動物が死んでしまった場合に備えて、その責任の分担を取り決めなくてはならない。市民からの理解が得られにくいと、それだけ動物を移動させる手続きのハードルも高くなる。(公営動物園の動物たちは、”備品”として台帳に登録されているらしい)
大問2
A―貨幣の歴史に関するリード文
(1)( ア )( イ )に入る語句の正しい組み合わせを選びなさい(★★)
↓リード文の要約です。
律令国家では、政府は10種類を超える貨幣を発行した。しかし、大きな国家的プロジェクトを実施する際や、今でいう公務員の給与の支払いが滞りがりな時に貨幣の発行を重ね、そのたびに貨幣の信用は下がった。鎌倉・室町では、幕府は貨幣を発行せず、おもに中国からの輸入銭が用いられた。
全国を統一した豊臣秀吉は、大名が贈答に用いるための大判(金貨)を作ったが、庶民までは浸透しなかった。これに成功したのは1630年代で、( ア )が( イ )を発行した。そして、幕府はあることを禁じた。これにより、貨幣の歴史においても、中世の時代が終わり、近世の時代に移ったといえるだろう。江戸幕府は、たびたび新しい金貨や銀貨を発行し、社会の問題点を改善しようとした。たとえば、綱吉の時代の1695年に元禄小判という、従来の慶長小判よりも金の含有量は少ないものの、額面は同じ1両の金貨を作った。同様に元禄銀も発行した。吉宗も1736年に元文小判という、当時流通していた正徳小判よりも金の含有量は少ないものの、額面は同じ1両の金貨を発行した。
1ア:徳川家康 イ:寛永通宝 2ア:徳川家康 イ:永楽通宝
3ア:徳川家光 イ:寛永通宝 4ア:徳川家光 イ:永楽通宝
3
*ア:「1630」から3代家光と判断できる。
ちなみに、家康は徳川家の世襲を世に示すため、2年後に将軍を辞めている。
イ:永楽通宝は明銭。明3代皇帝、永楽帝が発行した。
(3)鎌倉・室町時代では、輸入銭の質と量が安定し、交通手段や取り引きのしくみも整備されると、律令国家の時代とは異なる新しい年貢の納め方が広がりました。
これについて、その正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★★★)
X:鎌倉時代には特定の日に限って市が立つようになり、
室町時代には馬借とよばれる運送業者が登場しました。
Y:荘園領主のなかには、生産物を産地周辺の市などで換金してから、
貨幣で年貢を納めることを求める者が増えました。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
3
*X:鎌倉時代から定期市が見られるようになる。
鎌倉は月3回(三斎市)、室町は月6回(六斎市)が開かれた。
馬借のルーツは平安後期にさかのぼる。活躍するのは室町だが、鎌倉にはすでに登場していた。×
Y:当時の情景理解はテキストをしっかり読み込んでいないと難しい。
鎌倉中期には現物納に代わって、代銭納が広く行われていた。〇
厳密にいうと、農民から年貢を徴収した地頭 は市でそれを換金し、
近くの割符(さいふ)屋で銭を払い、割符を手に入れ、これを荘園領主に送っていた。
割符は現在でいう手形の機能を持つ、送金手段の1つ。
割符屋は遠隔地間の為替取引を行う金融機関みたいなもの。
(4)(1)の貨幣が広く使用されるようになってから、幕府が禁じたことは何ですか。
とくにこのことが中世と近世の区切りであるという意味に留意すること(★)
輸入銭を使用すること。
*リード文の流れから想像可。今までは宋銭・明銭といった中国からの輸入銭に頼っていたが、
純日本産の貨幣が国内で初めて広く浸透すれば、外国のお金はかえって邪魔となる。
(5)以下、綱吉と吉宗が小判を発行したときの状況
①綱吉の時の状況
・従来の慶長銀10貫(かん)は、新しい元禄銀10貫100匁(もんめ)に交換された。
・慶長銀10貫分の銀の純量は約8貫、元禄銀10貫100匁分の銀の純量は約6.5貫であった。
当時の銀貨には貨幣の単位がなかったため品位と目方を検査して取り引きした。
貫は重さの単位で、1貫=1000匁=約3750グラムである。
②吉宗の時の状況
・従来の正徳小判100両は、新しい元文小判165両と交換されることになった。
そのため事実上65%の「おまけ」がつくので、元文小判に交換すると有利に思われた。
・金の純量は正徳小判100両で約1550グラム、元文小判165両で約1420グラムなので、
差し引きは金約130グラムだが、金貨を新たに作り交換するための手間や手数料などを考えると、
交換量に対し幕府の手元に残る分の比率は小さいといえる。
①では貨幣の改鋳(かいちゅう )により差益の金や銀をだし、赤字の削減に回すなど、
幕府の財政再建に利用したと考えられます。これに対し、②では、他の目的が重視されたと考えられます。その内容について、次の文も参考にして25字程度で説明しなさい(★★★★)
『2016年末現在、日本銀行がめざしている経済政策の方法・目標と②は、通じるものがある』
貨幣の発行量を増やして、経済の安定を図ること。(24字)
*シブマクの社会は時間に追われっぱなしなので、状況の説明文をじっくり読んではいられない。
元禄小判も元文小判に貨幣の質を下げたが目的は違った。幕府の財政再建以外の目的とは何か?
ヒントは「2016年度末現在、日銀がめざしている経済政策」。ここで公民の時事が引用される。
アベノミクスの3つの矢の一『大胆な金融政策』。
インフレ目標2%を達成するまで量的緩和(通貨供給量を増やす)を無制限に行い、デフレ脱却を目指した。日銀総裁である黒田東彦(はるひこ)は、”黒田バズーカ”なる異次元の金融緩和策をぶっ放す。
@メモ@
元禄:幕府の財政再建目的で質の悪い元禄小判を鋳造→インフレ
正徳:インフレ抑制目的で質の良い正徳小判→デフレ
享保:貨幣発行による景気刺激策として、金の含有量を抑えた元文小判→次第に経済は安定化へ
B―アイヌ人の保護に関するリード文
(6)( ア )( イ )に入る語句の組み合わせとして正しいものを選びなさい(★★)
1997年、アイヌ文化振興法が制定された当時、政府はアイヌの民族文化の尊重はしたが、
アイヌ人が北海道における( ア )民族であることは示しませんでした。
それを認めてしまうと明治時代以降の出来事について、様々な( イ )問題が発生するおそれがあるためです。
2007年に国連総会が「( ア )民族の権利に関する国際連合宣言」を採択すると、
2008年、国会も「アイヌ民族を( ア )とすることを求める決議」を採択しました。
1ア:先住 イ:領土 2ア:先住 イ:賠償
3ア:少数 イ:領土 4ア:少数 イ:賠償
2
*選択肢が紛らわしく作られているが、シブマク受験生であれば正解したい。
(7)朝鮮半島や満州国についてその正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★★)
X:朝鮮半島でも「保護」を名目にした政策がすすめられ、北海道旧土人保護法が
制定された同じ年(1899)に、韓国の外交権が日本に委ねられました。
Y:満州国では、北海道旧土人保護法が制定された時にはすでに、「保護」を名目にして
日本軍が国家の防衛を担っていました。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
4
*X:韓国の外交権が委ねられたのは、日露戦争が終結した1905年の第二次日韓協約。×
これにより韓国は日本の保護国(形式的には独立国家だが、国家主権の多くが宗主国へ移譲する)となる。これを知らなくても、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約で、ロシアに対して韓国における日本の優越を認めさせたあとの話だろうと推測できる。
Y:満州国の建国宣言は1932年。×
(8)1899年、北海道旧土人保護法を定めた山県有朋について、
その正誤の組み合わせとして正しいものを答えなさい(★★★★)
X:山県有朋は首相を2度就任し、いずれも政党内閣を組織しました。
Y:1889年には、日本はすでに憲法と国会をもつ国家に成長していました。
1X:正 Y:正 2X:正 Y:誤 3X:誤 Y:正 4X:誤 Y:誤
4
*X:山県有朋も有名人だが、中学入試の日本史ではそんなに登場しないので難しい。
長州の藩士で、日本陸軍の基盤を形成した。
彼は2度、首相の座に就くが、政党内閣ではなく藩閥中心の組閣であった。×
Y:1881年、天皇から国会開設の詔が出され、10年後に国会を開設する約束を行う。
1889年2月11日、欽定憲法として大日本帝国憲法(明治憲法)の発布。
しかし、帝国議会(国会)は翌年の1890年に開設される(同年、第一回帝国議会の開催)。×
(9)以下の文を参考にしてアイヌの人々の民族性を無視していると思われる具体的内容を25字程度で説明しなさい。「否定」という語句を必ず用いて、2つの内容をふくめること(★★★★)
北海道旧土人法の条文をみると、アイヌの人々の保護のために税金で小学校を作り、
アイヌの子どもたちが日本語の読み書きができるように支援しました。また、農業を生業と
することを希望するアイヌの人々には、無償で農地や農具などを用意して、結果として
平地への移住をすすめる政策がとられました。
アイヌ語を禁止し、アイヌの狩猟文化を否定した。(23字)
*リード文の説明では、いかにもアイヌに配慮してますよという感じがするが、
実態は日本人への強制同化政策。
1つ目は、日本語の強要。「保護」の名の下にアイヌ語を真っ向から否定した。
2つ目は、後段の移住政策。アイヌ文化の中心は熊や鹿の狩猟やサケなどの釣り、森での採集であった。明治政府はアイヌ人が伝統的に使用していた土地を取り上げ、特に狩猟と釣りの禁止はアイヌの生活習慣に大きな打撃を与える。
アイヌの文化が農耕文化ではなく、狩猟文化であるという基礎知識がないと解けない。
ゴールデンカムイがおもろいよ!
↑アイヌのお守り、ニポポ人形。ネーミングがかわいい。
↑アイヌ語を聞いてみよう。日本語とは程遠い。ハンキリキリ~
@ストーリー概要@(ハリネズミが酒を作った)
ハツカネズミが酒を作った。おいしくできあがったので、カラスとカケスを家に招いた。宴会は盛り上がり、カケスは外に行き、どんぐりをくわえて帰ってきた。ドングリをシントコ(行器「ほかい」とよばれる器)の縁で転がして、宴会はさらに盛り上がった。今度はカラスが外に行き、ウンチをくわえて帰ってきた。同様にシントコの縁で転がして、宴会と酒は台無しに。
カケスとカラスは大喧嘩。カラスが首をしめられ、ハツカネズミはシギに知らせにいったが、シギは「お前らは良いことがあると俺を忘れ、悪いことがあると俺を思い出す」と言った。あきらめてうちに帰ると、カラスは殺されていた。
C―治安維持法に関するリード文
(10)( ア )( イ )に入る語句の組み合わせとして正しいものを選びなさい(★★★)
1925年に制定された治安維持法は、天皇制をさす「国体」を変革したり、私有財産制を
否認することを目的として結社を組織したりすることを禁止した法律です。
その名称が法律であることからもわかるように、当時の「民意」を代表している
( ア )でも承認を得られていたことがわかります。この法律の改正案は1928年、
今度は一転して( ア )が反対して審議未了となったものの、( イ )により改正され、
最高刑に死刑が導入されました。
1、ア:衆議院 イ:貴族院 2、ア:衆議院 イ:緊急勅令
3、ア:政府 イ:貴族院 4、ア:政府 イ:緊急勅令
2
*ア:「民意を代表している」→選挙による公選→衆議院
イ:やや難。帝国議会は二院制。衆議院で否決された法律案を貴族院単独で成立させることはできない。よって、改正の手法は緊急勅令となる。審議未了とは、会期中に議論が煮詰まらず、お蔵入りになること。 緊急勅令は、緊急のとき(じゃないときもあるけど)天皇が発布する法律の代替物。帝国議会の立法権には大幅な制約があり、実質は天皇の立法権を協賛(事前の同意)する機関に過ぎなかった。
(11)治安維持法が当時の憲法のもとでは憲法違反にならない理由を25字程度で説明しなさい。
ただし、「当時の憲法では思想の自由が認められていなかった」では正解になりません(★★★★)
法律の制限により、臣民の権利を侵害したといえないから。(27字)
*歴史と公民の融合問題。
条件により、解答パターンの1つがつぶされている。字数制限が厳しいので手際よく要約。
明治憲法下では、人であれば当然に持つことができる「人権」ではなく、天皇から与えられた「臣民の権利」であった。臣民の権利は法律の範囲内で保障される。
つまり、議会の法律いかんによって、権利の保障範囲が操作できた。
これを『法律の留保』という。治安維持法が違憲でないとされる理由は、
法律の留保に基づき、臣民の権利を不当に制約した法律ではない、と説明されたから。
日本国憲法では『法の支配』の下、立法府も憲法の下に服され、
人権を侵害する法律は憲法違反となる。
(12)(10)の( ア )は、当時の状況を考えると「民意」を代表しているというには大きな支障がありました。支障の内容を2つあげて、20字以内で説明しなさい。(★★★★)
女性と25歳未満の男子は投票できない。(19字)
*ここも字数制限がかなり厳しい。また、2つ目の内容が非常に書きにくい。
アは衆議院。衆議院議員は選挙により選ばれた国民の代表者であるので、
通常は民意を代表しているといえる。
しかし、当時は民意を十分に代表しているとはいえなかった 。
それは有権者の範囲が限られていたこと。
衆議院議員は非有権者の意見を代表していないので、
民主主義の観点からみれば有権者の範囲は広い方が望ましい。
解答の1つは女性に参政権が保障されていないこと。これはわかりやすい。
もう1つは納税要件が撤廃されたとはいえ、男子は25歳以上と年齢要件が現在と比べて高いこと。
1928年の衆院選挙では有権者の割合は20%ほど。
80%の国民の声は、議会に反映されていないことになる。
民意を代表している”国民の代表者”とはいいにくい。
(13)次の表の数字をみると、治安維持法のもつ「ある特徴」がうかがえます。その特徴を20字程度で説明しなさい。ただし、「検察」という語句を必ず用い、「犯罪者を処罰することよりも、身柄を拘束するなどの抑止力としての効果を期待していた」ことを念頭におくこと(★★★★)
検察の起訴より、警察の取り締まりを重視した。(22字)
*字数制限が厳しい。
表をみると、検挙された人数に対し、起訴された人数が少ないが、いったい何を書けば良いのか検討がつきにくい。結局、「犯罪者の処罰よりも、身柄拘束などの抑止力を期待していたこと」が解答の骨子だと思うのだが・・。
字数超過のうえ、問題文のパクリになるから腑に落ちない。
とりあえず、「犯罪者の処罰」→”検察の起訴”に変換。
「身柄拘束などの抑止力」→警察の取り締まりに変換(問題文の変換しかやっていないが…)。
刑事手続は【警察の捜査→検察の起訴→刑事裁判→有罪であれば懲役・罰金などの刑事罰】の順で進む。起訴をしないと被疑者は刑事手続から早期に解放されるが、これは問題文のとおり、警察の取り締まりによる抑止力に期待していたため。署内で取調べをしておけば、お上に逆らう者は少なくなる。
また、起訴をして裁判にかけると裁判事務が増え、多くの人材がそれに使われるから、他の裁判がしづらくなる。起訴せずとも警察署内の取り調べを重視するだけで、特定の思想を弾圧することはできる。治安維持法では特別高等警察(特高)がそれを担っていた。
法律学では、警察の活動を「司法警察活動」と「行政警察活動」に分類することがある。
司法警察活動は犯罪(事件)の捜査。
将来の起訴を見越して行うので、証拠確保のために綿密な捜査を行う。
対して、行政警察活動は将来の犯罪予防・公安維持のために行うパトロールなど。
警察のさじ加減で終わりにできる。
治安維持法は司法警察活動より行政警察活動を重視した(つまり、問題文の”念頭”通り)。
大問3
日本国内においては1968年、当時の自治省により情報処理の円滑化を図るため、
全国地方公共団体コードが定められました。これは5桁の番号で表されますが、
上2桁は都道府県コード、下3桁は市町村コードとして整備されています。
上2桁の都道府県コード(番号)を日本の地図上に示したものが以下の図1です。
(図1↓)
(1)図2はある番号の一部を示しています。この番号のはじめ(先頭)には0(ゼロ 本問題では番号Aとよぶ)がつきます。また、うしろには1~4桁の番号(本番号では番号B群とよぶ)と別の1~4桁の番号(本問題では番号C群とよぶ)が続きます。最後の4桁は加入者番号(本問題では番号D群とよぶ)となり、全体では10桁の番号となります。
①図2は何を示していますか(★★★)
固定電話の市外局番
*すでに大問2でヘロヘロなんですが、大問3もボリューミーで辛い。
北から南にいくにしたがって番号が大きくなりそうだが、法則がみつからない。
そこで自分が住んでいる場所で判断する。東京の東側が3、千葉は43、47・・
03―XXXX―XXXX、047―XXXX―XXXX→電話番号。
携帯の電話番号ではなく、「固定電話の市外局番」と正確に答える。社会科というより一般常識。
小学生は自宅周辺の電話番号しか知らないと思うので、東京23区であれば「3」、千葉っ子であれば「43、47」だけで電話番号を連想しないといけない。
②番号C群において、0や1で始まる番号はありません。この理由について、番号0のケースか番号1のケースかのいずれか1つを選び、答えなさい(★★★★)
0:先頭が0だと、市内局番ではなく市外局番と認識されるから。
1:先頭の1は、110や119など特殊な番号が割り当てられるから。
*前問が答えられないとドミノ式でこれも落とすハメに。番号Cは下3桁の市町村コード。
そこで、「市内局番」と推測する。市内局番の先頭は0・1ではない。その理由を答える。
理由は1が書きやすいか。前問の市外局番→本問の市内局番→理由解答の流れは、かなりシビア。
@メモ@
警察―110 消防―119 時報―117 天気―177 電報―115
災害用伝言ダイヤル―171(忘れていない?=171)
消費者ホットライン―188 児童相談所―189
③東京23区などでは1991年、大阪市などでは1999年にそれぞれ番号C群が3桁から4桁に変更されています。この理由について答えなさい(★★)
人口が増えて市内局番の数が足りなくなり、番号を増やしたから。
*都市部の市内局番が増えた理由を求める。推測しやすい。
(2)下の図3はある番号の一部を示しています。この番号は全国を100の地域に分け、
その区域ごとに付けています。番号にしたがって区分・輸送を行うための制度として
1968年から実施されています。1998年から7桁となる前のこの番号は3桁または5桁で、
図4では神奈川県、図5では千葉県の番号分布を示しています。
また、図6では神奈川県、図7では千葉県の地図を示しています。
①図3は何を示していますか(★★★)
郵便番号の先頭の2桁
*図3だけでは、番号の規則を見つけにくい。
問題文の「番号にしたがって区分・【輸送】』」「1998年から【7桁】となる」
ここから自分の住所地を調べて、郵便番号の上2桁と推測できなくもない。
千葉と神奈川の人であれば、次の図4・5から3桁までみられる。
②この番号は何にもとづいて付けたのでしょうか。
当時の交通事情を考えて説明しなさい(★★★★★)
郵便物の輸送量が多い東京を起点に、鉄道での輸送経路に沿って番号が付けられている。
*若い番号から数字の並びを調べていく。
図4(神奈川)では、東京に近い北東部から神奈川北部を東→西、もどって東京湾沿いを南下、西部へ。図5(千葉)では、千葉市から東京に近い北西部→銚子、内房→外房。
大雑把にいえば都会→地方。過密地→過疎地。
「当時の交通事情」がヒント。
図6・7では国道に目がいきがちだが、当時の陸上運送は鉄道が主流。
郵便物の最も多い東京を10とおき、そこから鉄道輸送の経路にしたがって番号がつけられた。
ただ、図を詳しくみると番号が飛ぶところも多いので、細かく考えるとかえって失敗する。
とくに、図3では東京→沖縄のあとに、北陸の福井→山形、北海道が0番台となっており、
奇妙な番号の流れは推論を邪魔して混乱に陥りやすい。大まかな流れをつかむこと。
福井に飛ぶナゾは以下を参照
「沖縄」の次が「福井」不思議な順番の理由は(By毎日新聞)
先頭の1を東京に割り当てたのは、郵便物を宛先別へ自動に振り分ける機械で「1」が読み取りやすいから。東京―京都―大阪は近代郵便の大動脈で、東京→東海道→山陽道→九州と伸び、その後、全国展開。当初「00」は地域番号になく、札幌市に郵便局が新設されたことから、北海道に0番台が割り当てられた。
(3)図1のコードと図3の番号は1968年に制度化されました。
また、日本初の人工衛星の打ち上げもこの時代の出来事です。
①日本のロケットの打ち上げ射場が現在ある道県を、下記から1つ選びなさい(★★)
1:北海道 2:長野県 3:鹿児島県 4:沖縄県
3
*種子島宇宙センター
②なぜ、(1)の道県に設けられているのですか。その理由となる自然条件および
当時の日本がおかれた状況について、それぞれ答えなさい(★★★)
■自然条件
ロケットは地球の自転で生じる遠心力を利用して飛ぶので、
低緯度の場所で打ち上げる方が燃料が少なくてすむから。
■当時の日本がおかれた状況
大きな遠心力を得るには沖縄の方が望ましいが、1968年は
アメリカに統治されており、打ち上げ射場を作れなかったから。
*良問。当然だが、①を間違えると答えられない。
理科の知識も求められる。ロケットは地球の遠心力を借りて飛ぶと
燃料費が抑えられてお得。だから、通常は東方向に飛ばす。
↑世界のロケット打ち上げ射場(by JAXA)
国の低緯度地域にあれば、意外と高緯度地域にもある。
21番のイスラエルにあるパルチマン空軍基地は東にアラブ諸国があり、
中東問題への配慮からロケットを西側へ飛ばす。
また、西側に地中海があるので、切り離された部品も回収しやすい。
日本がおかれた状況は、1972年沖縄返還を想起すればよい。
@データ@
満点75点 受験者最高点57点 受験者平均点26.5点
合格者平均点31.2点 合格者最低点12点 (難しすぎるわ!)
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