2019年度 麻布中学入試問題【社会】解説

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〔スポーツと社会の関わりを述べたリード文〕
かなり完成度が高く、まとまっています。
*以下、リード文を適宜、要約しながら抜粋しております。

日本では武士がたたかいの技術を高めるために訓練をおこなうようになりますが、江戸時代では剣術、柔術、弓術、槍術などが武士にとって身に着つけておかなくてはならないものとされました。
ウ、しかしこれらの武術が実戦で使われることはなくなりました。そうしたなかで剣術の稽古に竹刀が使われるようになるなど大きな変化がみられました

問5
下線部ウについて。
竹刀が登場することで剣術のあり方はどのように変化したのでしょうか。
答えなさい(★★)
人を殺める戦闘技術ではなく、自身を高める武道に変わった。
*大阪の陣が終わり、泰平の世となった元和偃武(げんなえんぶ)において、
もはや戦いの技術は必要ではなくなった。
人を斬る真剣から、人を叩く竹刀に変えて、剣術は自己研鑽(けんさん)の手段となる。

…長年、陸上自衛隊に勤めていらっしゃった居合の達人の御方は、
昨今の武道のスポーツ化を嘆いておられました。
剣術の本来の目的は”いかに相手を倒せるか”であって、自己研鑽の道具ではないと。
実践している方にしかわからない領域があるのですね。

■追記■
その方のお話によると、竹刀はもともと剣聖上泉伊勢守信綱が剣術稽古の安全性を求めて考え出した袋竹刀から始まったそうです。竹刀が登場してから互いに思い切り打ち込む稽古ができるようになりました。その後は、北辰一刀流が盛んに取り入られ、現在の剣道へと通じます。剣を操るというより竹刀を操る術になってしまい、竹刀競技であると残念なお気持ちを吐露しておりました。

スポーツの原型(元になるもの)になった「身体を使う遊びや競技」は、昔から世界各地で行われてきましたが、現在世界中で親しまれている近代的なスポーツの多くはヨーロッパ、とくにイギリスで生まれたものです。イギリスで行われていたサッカーやラグビーの原型であるフットボールは村や町同士で行うものでしたが、やがて裕福な家庭の子どもたちが通う学校でも好んで行われるようになり、しだいに学校同士でも試合が行われるようになってきました。さらに工場で働くようになったひとびともクラブをつくるようになり、試合を通じての交流が盛んになりました。こうして自由参加のクラブを土台とした共通のスポーツの文化がイギリス全土に広がり、現在の競技のかたちができていきました。19世紀の後半から20世紀にかけて陸上競技、水泳、テニスなどでも同じようなことがおこりました。このような動きは、エ、スポーツの原型が近代的なスポーツへと変化するなかでもたらされたのです

問6
下線部エについて。
近代的なスポーツにはそれぞれの原型となるものがありました。
全体として、近代的なスポーツはスポーツの原型とどのように違うのでしょうか。
答えなさい(★★)
特定集団の中だけでなく、広く一般的に親しまれている。
*フットボールの変遷をみると、町村→特定の学校→学校同士→工場でのクラブ→自由参加のクラブと、試合を通じた交流を重ねることで、競技者の輪が広がっている。
一部から始まったスポーツが、徐々に幅広く社会に浸透していった。

スポーツは国の考えや都合にあわせて、学校や軍隊で行われるようになりました。日本でも明治時代に新たにつくられた学校で、全員で一斉に行う体操が取り入れられ、それまでスポーツに親しんだことのなかったひとびとに課されたのはよい例でしょう。オ、スポーツは政府の政策に役立つものと考えられたのです

問7
下線部オについて。
学校にスポーツを取り入れることで、政府は当時おしすすめていたどのような政策に役立て、
どのような行動ができる人を育てようとしましたか。答えなさい(★★★)
強い国づくりに必要な強兵策を行うために、子どもたちの体力を養い、
周りのことを優先して集団行動ができる人を育てようとした。
*指針は立てやすいが、表現力が試される。
明治時代の政策といえば富国強兵策。強い国体を整えるうえで、軍事力の増強が図られる。
教育機関では子供たちが将来、軍隊に所属しても困らないよう、
基礎体力の向上と集団行動を意識した体操が体育の授業で行われた。
軍国主義は個人主義より全体主義を重んじる。

現在はプロチーム同士の対戦が当たり前となっている野球も、日本に伝わったことは課題活動のひとつとして学校のなかだけで行われるものでした。やがてさまざまな学校でチームがつくられるようになると、学校同士での対抗戦が組まれるようになっていきます。初めは大学同士の対抗戦が人気を集め、行き過ぎた応援がみられるなど過熱気味になっていきました。勉学をおろそかするなど批判はありましたが、学生の野球はひとびとに受け入れられていきました。1915(大正4)年には大手新聞社が中学野球の全国大会を開催し、これが現在まで続く高校野球の「夏の甲子園」となっていきます。カ、このような国民の熱狂を政府も歓迎し、1926(大正15)年には大学野球の優勝校に皇太子(後の昭和天皇)の名前を冠した優勝カップを授与するなど、盛り上がりを後押ししました

問8
下線部カについて。
スポーツの盛り上がりは政府にとっても都合のよいことでした。
どのような点で都合がよかったのでしょうか。下の年表を参考にして答えなさい(★★★★)

国民の関心事を学生の野球大会に向かわせることで、
国内で高まる政府への不満や批判を和らげる点。
*政府の支持率が下がったときに為政者がよくやること。
国内で爆発する不満を国外(どこかの他国)に反らしたり、
社会的弱者を標的にする(スケープゴート)。
今回は、それが熱狂する学生のスポーツ大会だった。
2016年度の麻布でも自由民権運動で似たようなものが問われている。

1936年(昭和11)年、ドイツのベルリンでオリンピックが開かれました。ベルリン大会は、その後のオリンピックのあり方に大きな影響を与えました。ドイツを率いていたヒトラーはオリンピックを利用し、スタジアムや選手村、ホテルの建設、道路や鉄道の整備を行いました。初めて行われた聖歌リレーが大会を演出し、キ、記録映画も制作されました

問9
下線部キについて。
この映画は単なる映画記録にとどまりませんでした。
どのような効果を持ったと考えられますか。答えなさい(★★★★)

ドイツの偉大さを国内外に印象づけて、国をまとめあげる効果。
*抽象性の高い設問で書きにくい(;`ω´)
第一次世界大戦で敗戦したドイツには強い戦争責任が課され、

壊滅した国土と多額の賠償金にドイツ国民は疲弊していた。
そのさなかに現れたヒトラーは画家志望だったそうで、
右脳派人間の絶妙なスピーチと宣伝戦略に長けており、
ヒトラーの強い指導者像にドイツ国民は魅入られて熱狂的に支持をする。

ヒトラーが行った映画製作は、強国ドイツの存在感を内外に印象付けることで、
ゲルマン民族(ドイツ国民)の優位性を高めるプロパガンダ(特定の思想を狙った宣伝)にあった。
ホロコーストも”劣ったユダヤよりも優れたゲルマン”と自分たちの一体感を高める狙いがある。
(興味のある方は、彼の自叙伝『わが闘争』を読んでみてください)

戦後のオリンピックでは、ク、1980(昭和55)年のモスクワ大会(ソ連)と、1984(昭和59)年のロサンゼルス大会(アメリカ)で各国の政治的な都合により、参加、不参加が分かれ、日本もモスクワ大会には参加しませんでした

問10
下線部クについて。
日本がモスクワ大会に参加しなかったのはなぜですか。答えなさい(★★)
冷戦下の日本はアメリカ陣営に属し、ソ連と対立していたから。
*冷戦→アメリカ率いる西側陣営とソ連率いる東側陣営の対立。
細かくいうと、日本がモスクワ大会をボイコットした直接の理由は、前年の1879年にソ連がアフガニスタンに侵攻したことで、アメリカをはじめイギリスや西ドイツといった西側諸国が不参加を表明したから。
当時のアフガニスタンではクーデターが起こり、反ソと目されたアミン政権が樹立。さらに、同年に隣国のイランで革命が起こり、これに触発されたアフガニスタン国内のイスラム教徒が反乱すれば、たちまちソ連圏にいる他のイスラム教徒に波及するおそれがあったので、共産体制の維持を守るためにソ連はアフガニスタンに軍を派遣する。それまで
デタントとよばれる緊張緩和に包まれた米ソの関係は、ソ連のアフガン侵攻により再び緊張ムードに包まれた。

ちなみに、2014年のソチ五輪でもその開会式で欧米諸国の首脳陣が欠席している。
理由はロシア国内での同性愛者の人権問題(同性愛宣伝禁止法の成立)といわれる。
LGBTが外交問題としてあがった例だが、日本国内ではほとんど報道されず・・(; ̄Д ̄)


スポーツ自体のあり方も新聞、ラジオ、テレビ、インターネットなどの登場や計測技術の進歩によって変わっていきました。ケ、たとえばサッカーのペナルティーキック戦や柔道でのポイント制といった制度の導入がありました

問11
下線部ケについて。
下の表は、サッカーのペナルティーキック戦と柔道のポイント制のルールをそれぞれ説明したものです。このような制度はテレビやラジオで中継するうえでどのような利点があるでしょうか。
表を参考にして答えなさい(★★★★)

放送時間内に試合の勝敗がつけられる点。
*麻布の教師はフォークボールを投げるのがお上手(*’ω’*)w
もし、ペナルティーキックやポイント制がなかったらどうだろう?
サッカーは同点のまま、柔道は一本勝ちがない→試合の決着がつかない。
放送は時間ごとでスポンサーに売られるので、放送時間には限りがある。
視聴者の立場として、せっかく試合をみたのにどちらが勝ったかわからないまま放送が終わったら
モヤモヤした気分になるはず。スポーツ中継では最後の”見せ場”が肝心。

第二次世界大戦後の日本の状況をみると、学生のスポーツは学校での部活動を中心に、社会人のスポーツはコ、企業が社内に結成したチームを中心に発展していきました。日本の仕組みは世界的にみてもめずらしいものですが、企業スポーツは会社の宣伝に利用でき、同時に従業員たちの一体感を高めることにも役立ち、サ、選手にとっても利点がありました

問12
下線部コについて。
企業が社内につくった野球地チームの日本一を決める大会として、1927(昭和2)年から「都市対抗野球大会」が開催されています。下の表は1950年代、1970年代、2000年代の優勝チームをまとめたものです、優勝チームの移り変わりは、戦後日本の産業の移り変わりとどのように関係していると考えられますか。この表にある具体的な業種に注目しながら説明しなさい(★★★)

軽工業の繊維業から重工業の鉄鋼業、自動車産業と、
時代ごとの主要産業を担った会社のチームが優勝をしている。
*記述の方針は表の通りかと。あとは表現力。
優勝チームから産業の流れを読み解くのも面白いですね。
次はどこがくるかな?(ノ)`ω´(ヾ)

問13
下線部サについて。企業内のチームに所属した選手は、会社での仕事をしながら練習や試合をこなします。プロ選手のように独立せず企業内のチームに属することは、選手にとってどのような利点がありますか。答えなさい(★★)
雇用の安定を保障し、練習環境を整えてもらえる点。
*スポーツ選手は体が資本。
ケガをして選手生命が絶たれてしまうと、稼ぎを失ってしまう。
雇用の安定が保障されることで後ろ盾をもらい、練習に身が入るようになる。
また、スポンサーとなる企業は資金をもっているので、
選手の勝率を上げるために施設や栄養士の手配などの練習環境を整備してくれる。

ここまで、シ、私たちは、スポーツが時代ごとにさまざまな影響を受け、ときに振り回されたことをみてきました。この意味でスポーツは社会を映し出す鏡であるといえるのです。日本では今秋にはラグビーワールドカップ、そして2020年には東京オリンピック・パラリンピックと、世界的なスポーツイベントが立て続けに開催されますが、ときにスポーツと社会の関係について考えてみることも必要かもしれません。

問14
下線部シについて。
スポーツは社会のなかで時代ごとにさまざまな役割を期待されてきました。今後予想される社会の変化が生み出す問題を、スポーツで解決していくとすれば、どのような役割がスポーツに求められますか。具体例をあげて100字以上140字以内で述べなさい。句読点も1字分とします(★★★★)
ポイントだけ(^^;
長文記述だが、字数に幅があるのはありがたい。

本文でサボが注目したのは、最初のスポーツの定義にある『娯楽、身体を動かす、競い合い』。
途中にあった『交流』、最後の段落で『フェアプレー、友愛の精神』。
ここらへんのキーワードをもとに、想像を膨らませます。
スポーツの効能から、社会の変化が生み出す問題や課題を逆算した方が書きやすいかな?

身体を動かす→高齢者の健康増進、IT・スマホ社会に伴う基礎体力低下を予防→医療費の削減。
交流→ストレス社会による孤立化をなくす。障害者や外国人など多様な交わりの機会。
→うつや自殺、引きこもりを減らす。多様性(ダイバーシティ)の理解促進。
(*ある方は、途上国の若者と日本の若者を交流留学させる取り組みをしていました。
途上国の若者は日本で進んだ技術や文明に触れることができ、
日本の若者は貧しくもたくましく生きる途上国の人々から”生きる刺激”を得るそうです。
素晴らしい取り組みですね(*’ω’*))

昨今は何かと争い事を回避し、安全志向な子供たちが増えていると聞きます。
中学校の部活神話への疑念もありますが、身体を動かして切磋琢磨しあい、
真剣勝負の場で相手に負ける経験は、人生の糧になると思います。

@データ@
4科目合計200点(算60国60理40社40)
最高点145点、最低点100点。
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note書いています(*'ω'*)
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